アンパンマンの生みの親・やなせたかし
彼は1919年生まれ。高知出身で第二次世界大戦中、中国戦線で従軍していました。アンパンマンのヒットは人生後半の時期に差し掛かってからです。絵本『あんぱんまん』を出した1973年、すでに54歳。テレビアニメ放送開始の1988年、69歳。アニメシリーズが大ブレイクし、映画もつくられ、1990年代以降、アンパンマンの人気がキッズ市場でナンバーワンになった2000年代には、80歳をとっくに過ぎていました。
「遅咲きの漫画家」やなせたかしが生んだ「遅咲きのヒーロー」アンパンマン。平成の時代になって日本国内の乳幼児市場で圧倒的な支持を集めるようになった理由は、メディアやメーカーによる精緻なマーケティングやビジネス戦略のおかげでしょうか? 違います。アニメが放送され、大ヒットするまで、ビジネスパーソンの多くはアンパンマンの存在に気づきもしませんでした。
では、偶然のヒット?
それも違います。アンパンマンは、やなせたかしの過酷な体験に根差した高い「理想」と深い「思想」とが、赤ちゃんにも幼児にも伝わった。だからみんな好きになったのです。
では、やなせたかしはアンパンマンを乳幼児向けにつくったのか?
それも違います。やなせたかし自身が述懐しています。
「アンパンマンは最初、大人のメルヘンとして描いたんです」(1991年2月2日付の朝日新聞のインタビューで)
そもそも、やなせたかしは、アンパンマンがヒットするまで無名の存在だったのか?
これまた違います。アンパンマン誕生以前、1950年代から70年代にかけて、やなせたかしはテレビにラジオに映画にアニメに舞台に音楽に書籍にと、様々なメディアで大活躍でした。タッグを組んだのは、手塚治虫やいずみ・たくなど売れっ子の“天才”ばかりです。
にもかかわらず、いや、だからこそ、やなせたかしは悩んでいました。
頼まれた仕事は断らない、「困ったときのやなせさん」と業界で便利屋的に重宝されるけど、本業の漫画でさっぱり人気が出ない……。
そんなメディア界の「便利屋」をやっていた最中に誕生したのが、大人向けメルヘンに登場した冴えない中年男=アンパンマン、だったのです。
柳瀬博一
東京科学大学教授
