【戦後日本の裏面史】公職追放解除で何が動いた?…眠っていた鳩山一郎、河野一郎ほか「大物」たちの暗躍と新時代の胎動

【戦後日本の裏面史】公職追放解除で何が動いた?…眠っていた鳩山一郎、河野一郎ほか「大物」たちの暗躍と新時代の胎動
(※画像はイメージです/PIXTA)

ホテルオークラの創業者一族である大倉家の興亡を通して紐解く、激動の昭和史。――終戦から6年、焼け野原からの復興を目指す日本で、GHQによる公職追放の解除が発表された1951年(昭和26年)。それは、政界の鳩山一郎、河野一郎ら、戦前日本の中心にいた大物たちが再び表舞台へと動き出す狼煙だった。この日、公職追放を解かれた一人に、大倉喜七郎がいた。戦前、巨大財閥を築き上げた大倉家の御曹司であり、帝国ホテルの経営にも深く関わってきた彼は、追放によってその地位を失っていて……。本稿では、ノンフィクションライターの永宮和氏の著書『ホテルオークラに思いを託した男たち』(日本能率協会マネジメントセンター)より、公職追放解除という時代の転換点を背景に、大倉喜七郎がたどった道筋をみていく。

失われた「王国」の残影…財閥解体、喜七郎の孤独

 

9月8日、サンフランシスコ平和条約が結ばれて戦争が正式に終結し、日本の主権が回復した。公職追放によって、喜七郎は実業世界からの退場を余儀なくされた。いつも喜七郎を持ちあげ、お追従を口にしていた者たちが自分のもとを一人また一人と去っていく。生き残った財閥傘下の各企業も、公職追放となった総帥とは距離を置くしかなかった。喜七郎が関与していることがGHQに知れたら、その会社も下手をすれば監視対象になりかねない。

 

そして1952年(昭和27)4月28日、連合軍の占領が終結した。財閥家族に課された禁止事項や規制もなくなり、いくつかの財閥は部分的に企業グループとして復活した。また旧財閥系の企業は戦後復興の波に乗って成長軌道を描きはじめた。

 

しかし財閥家族がふたたびその頂点に君臨することはなかった。それは、GHQによる経済思想教化の影響でもあれば、企業が新たな時代に乗りだしていくための自主的な旧支配体制との決別でもあった。

 

復興を急がなければならない戦後経済社会では、もう創業家が頂点に君臨するというカビ臭い支配体制は不要であるばかりか、弊害にすらなる。旧大倉財閥系の企業もふたたび閥を形成することはなく、大倉土木は大成建設に、解体された大倉鉱業は中央建物(大倉鉱業所有不動産の管理運営事業)に、大倉産業は内外通商(のちの大倉商事=一九九八年自己破産)に改称して、それぞれ独自の経営体制を確立していった。

 

終戦から11年を経過した1956年時点での持株比率が46パーセントあった川奈ホテルを除けば、旧大倉財閥系の企業に喜七郎が君臨する席はもうなかった。喜七郎は公職追放解除後にふたたび各企業の株を買い持ったものの、あくまで主要株主の一人という位置づけにすぎなかった。

 

喜七郎の実質的な財産管理会社である大倉事業は、中央建物の株を16パーセント所有する大株主(56年時点)だったが、やはりここでも喜七郎の影響力は削がれた。

 

解体されバラバラになった旧大倉財閥だったが、1950年(昭和25)1月に大きな出来事があった。まだ東京が東京市といっていたころ、市有地との交換で三菱財閥が東京駅前に所有した土地があったが、戦前にこれを大倉財閥が譲り受けていた。それを、丸の内のオフィス街一体開発をめざす三菱地所がぜひ買いもどしたいと依頼してきた。

 

喜七郎は「大成建設に工事を担当させるなら」という条件を示してこれを受諾した。三菱地所は、戦前に東洋一の規模と謳われた丸ノ内ビルヂングを有していたが、それに匹敵する新オフィスビル、東京ビルヂングの建設をこのときめざしていた。丸の内一帯開発は、財閥解体によって三社に分割されていた三菱地所、さらには三菱財閥再結集の足がかりか――とジャーナリズムは書き立てた。

 

この大型土地売買からはじまった丸の内開発工事は、旧大倉財閥と決別して独立路線を歩む大成建設にとって、飛躍の足がかりとなった。

 

そして因縁の帝国ホテルである。帝国ホテルではすでに経営手腕に長けた犬丸徹三が社長になり、戦後復興にむけてタクトを振っていた。会長の座には、中国でのたばこ葉事業や塩業で財を成した金井寛人(かないひろと)がついていた。金井は、強制放出された喜七郎の株を引きとるかたちで帝国にやってきたのだった。

 

会長も社長も後任が定着していて、もう喜七郎が返り咲く場所はどこにもなかった。それでも喜七郎は会長への復帰を強く願い、あれこれと手をまわしてその方策を探った。だが、彼が復帰して指図するようなことになれば、経営上で混乱が生じるのは必定だ。たとえホテル創業と経営の歴史に貢献した大倉一族であっても、帝国としては喜七郎の復帰はなんとしても阻止する必要があった。

 

帝国は、旅客機のジェット化と大型化がもたらす国際旅行大衆化にむけた、新時代のホテル経営体制確立に邁進していた。このときすでに、旅行大衆化を一気に推し進めることになるボーイング747型機(ジャンボジェット)の開発構想が持ちあがっていた。それまでの旅客機にくらべて座席数が倍になるという夢のようなプランだった。

 

帝国ホテルの株主構成は、1956年時点で金井寛人が第一位株主(9.89パーセント)、社長となった犬丸徹三が第二位株主(6.62パーセント)となるなど大きく変化していたし2)、この時点ですでに東京証券取引所二部上場の準備に入っていた(1961年10月1日実施)。

 

大正末竣工の二代目本館、ライト館は老朽化が顕著で、壁面の劣化や水漏れがあちらこちらで発生していて、近いうちに全面建替えが必要と判断されていた。東証上場はその資金調達をスムーズにおこなうための手段でもあり、株式を公開すればなおさら“バロン”的経営は排除されなければならなかった。

 

※文化活動にいとも容易く大金を投じるおおらかさ、貴族的なふるまいによって喜七郎は周囲から「バロン・オークラ」と呼ばれた。

 

本文注

1)日本経済新聞電子版2012年4月7日付・伊奈久喜「日米外交 60年の瞬間鳩山氏ついに追放解除に」。  

2)財団法人政治経済研究所・菊地浩之論文「1950年代における旧財閥系企業の株式所有構造」表3 21 帝国ホテルの株主推移。

 

 

永宮 和

ノンフィクションライター、ホテル産業ジャーナリスト

 

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本連載は、永宮和氏の著書『ホテルオークラに思いを託した男たち』(日本能率協会マネジメントセンター)から一部を抜粋し、日本のホテル御三家の一角・ホテルオークラの経営について詳しくご紹介します。

ホテルオークラに思いを託した男たち

ホテルオークラに思いを託した男たち

永宮 和

日本能率協会マネジメントセンター

【内容紹介】 大倉喜七郎の生涯と、彼が人生最後の記念碑としてつくりあげたホテルオークラの誕生秘話、そして経営を託された野田岩次郎との二人の約束からはじまる知られざる歴史と、脈々と続く熱き経営への思いがいま明かさ…

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