職人気質の父親と経営志向の私
そもそも私の父は日本三大ラーメンの一つとされる喜多方ラーメンに目をつけ、発祥地である福島県の名店「坂内食堂」に教えを請うため単身乗り込み、喜多方ラーメン坂内を全国区に多店舗展開した人でした。
父が作ったラーメンは大人気で、店はいつも繁盛していました。お腹を満たすだけでなく、人々の心に温かさを与えるラーメン。父が作る一杯のラーメンが、どれだけ多くの人を幸せにしているのか──。父のラーメンを食べたあとに笑顔で「ごちそうさま!」と声をかけるお客様の姿は、私の心に深く刻み込まれていました。
しかし、家族を顧みることもなく、夜遅くまで働き、朝早くから仕込みを始める父の職人的なやり方に、どうしても共感できない部分がありました。毎日汗を流して働く父の努力が報われていないように思えたのです。
今になってみれば、父は最高のラーメンをお客様に提供するという信念を貫こうとしていたのだと理解できます。ただ私は、父とは違う形で飲食業に挑戦したいという想いがありました。職人的な仕事に対する反発だけではなく、飲食業が持つ素晴らしさを知っていたからこそ、それをより広い視点で展開し、多くの人を笑顔にする経営を目指そうと思ったのです。
大学卒業後、最初に就職したのは第一勧業銀行(現・みずほ銀行)で、法人営業部で中小企業向けに新規の融資を取ってくる仕事をしていました。いずれ飲食で起業するつもりで、まずは金融や財務の視点で経営を学ぼうと思ったのです。
銀行には4年勤めて、その後はベンチャー・リンクに入りました。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった同社は焼肉チェーンの牛角、カフェチェーンのサンマルクと次々と飲食ブランドを世に送り出していました。
そしてベンチャー・リンクのあとはグローバルダイニングで店舗マネジメントを学びました。財務を学び、チェーンを学び、現場を学ぶ。すべてを終え、30歳までには起業する。それが私が考えた飲食業での起業までのロードマップでした。
父も私が職人の自分とは違う道を進もうとしていることは分かっていたと思います。しかしそんな父が、私がグローバルダイニングで働いていたときに、自分のラーメン屋を手伝ってほしいと言ってきました。父はそれまで決して息子に頭を下げるような人ではありませんでした。
何気ない様子を装っていましたが創業から会社を支えていた血を分けた兄弟のような人が退職し、明らかに失意の中で、力を失っていました。目の前でがっくりと肩を落とし、下を向く父を見て私は会社を手伝うことを決めたのです。
「今までと違ったこともするが、それでもいいか」父は黙って小さく頷きました。これはちょうど冒頭のニューヨークでラーメンブームが起きた前年のことです。
飲食業で「世界で」勝負するという新たな目標ができていた私にとって、この決断は難しいものではありませんでした。もはや修業のために下積みを続けている場合ではない。一刻も早く自分が経営側の人間になり、自分の考える飲食業で世界と勝負する必要があると思ったのです。
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