「これは何かおかしい」
誰もが「これは何かおかしい」「暗い時代だ」と実感したのはいつ頃だったろうか?
おそらく1990年代後半だろう。が、その少し前にターニングポイントのように思い出される年がある。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が重なり、金融機関の破綻も相次いだ1995年だ。
私の場合、それら以上に記憶に残っているのは、地下鉄サリン事件に先んじてオウム真理教信者が起こした松本サリン事件のほうだ。
大学2年生だった1994年6月28日の朝、親戚から安否を確認する電話がかかってきて私は事件を知った。慌ててテレビをつけてみると、私の住まいから1キロメートルほどの場所で死者が出ていると報じられ、そのなかには信州大学医学部の5年生も混じっていた。同級生は誰も被害に遭わなかったが、学生アパートが集中するエリアの出来事でもあり、その日は事件の話題で持ちきりだった。やがて学生である私たちの耳にも「有機リン系薬物中毒らしいが、そんなことがあり得るのか?」という医学部附属病院からの噂話が聞こえてきて、実際、そのとおりの報道が流れた。
度重なる事件と自然災害がトリガーになったのか、それとも1991年から澱(おり)のように溜まり続けていたものがついに社会の表層にまで現れ出たというべきか。1995年以降、それまで日本社会を覆っていたジュリアナ東京的な「から騒ぎ感」は急速になりをひそめていった。
当時の私は医学部という特殊な学部に籠るのが性に合わず、ゲーセンをはじめ、他学部の学生がたむろしている場所をホームグラウンドにしていた。他学部の先輩たちからも色々な話を聞き、「今年の就職活動は大変だよ」などといわれているのを耳にもしていたが、1994年度、1995年度に卒業した他学部の先輩がたの就職先はなかなかのものだった。ゲームと登山に熱狂して留年しまくっていた先輩が、大手自動車メーカーに入社できた話を聞いたときは驚いた。あの、ちっとも授業に出ていない先輩ですら大手自動車メーカーに入社できるなら、そうはいっても世の中なんとかなるものじゃないか―そういう感覚で私は話を聞いていた。