日本社会を覆っていた「から騒ぎ感」の終わりと松本サリン事件の衝撃…ターニングポイントとなった1995年という「暗い時代」の始まり【氷河期世代の精神科医が振り返る】

日本社会を覆っていた「から騒ぎ感」の終わりと松本サリン事件の衝撃…ターニングポイントとなった1995年という「暗い時代」の始まり【氷河期世代の精神科医が振り返る】
(※写真はイメージです/PIXTA)

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が重なり、金融機関の破綻も相次いだ1995年。精神科医の熊代亨氏は「1995年以降、それまで日本社会を覆っていたジュリアナ東京的な『から騒ぎ感』は急速になりをひそめていった」とし、1995年がターニングポイントだったと述懐します。熊代氏の書籍『ないものとされた世代のわたしたち』(イースト・プレス)から、誰もが「これは何かおかしい」と思い出した「暗い時代」の始まりについて振り返ります。

就活という問題系

1996年、そして1997年へ。このあたりから周囲の様子が大きく変わっていった。1997年は北海道拓殖銀行や山一證券が破綻し、消費税が5パーセントに値上がりし、アジア通貨危機が起こった年にあたる。その年、私と同い年の彼らは就職活動に苦戦していた。ある人は、100社以上を回って辛くも内定獲得。また、内定が出ないから大学院に進学。そういった話からは今まで聞かなかった焦りと疲労が感じられた。今から振り返ってみれば「就職できないから大学院に進学する」とは当時において危険な選択だったのだが、そのことを知る者は誰もいなかった。

 

どうにか内定を獲得した同学年たちのホッとした表情。どうにも内定を獲得できない同学年たちの焦燥となんともいえない曖昧な笑み。それでもゲーセンや居酒屋はたむろの場であり、今までどおりの付き合いが続いていた。私は6年制学部の学生だったから、「就活という問題系」について自分ごととしては考えきれておらず、それらの意味するものを十分に理解しているとは言えなかった。

 

1999年。私は研修医になり、最初の1年はあまりにも余裕がなくて周りのことなど見ていられなかった。当時の研修医の年収はおよそ400万円、大学病院勤務による収入が3割ぐらいで、残りはいわゆる「バイト」、大学関連病院のお手伝いの報酬としていただくものだった。もらったお金は医学書の購入以外にほとんど使っていなかった。何かに使う暇がなかったからだ。

 

2000年。研修医の生活にもいくらか慣れてきたので、仕事の合間に人に会うチャンスをつくり、私はいつものたまり場に戻っていった。

 

大学時代以来の知人の境遇はさまざまだったが、とにかく生活は成り立っているようだった。忙しいか? もちろんだとも! とはいえ、最も余裕がないのは研修医である私で、周囲からは気の毒がられた。この頃には皆、携帯電話を持ち歩くようになり、インターネットを始めている人もぼちぼちいた。正規雇用か非正規雇用かが強く意識される場面は、この段階ではまだなかった。ゲーセンや居酒屋といった繋がりのハブは意外に頑丈そうにみえ、不況の影響はそれほどでもないな……などと思っていた。就職氷河期の影響を私がはっきりと意識するようになったのは、だから2001年以降になる。

 

一人また一人と力尽きていった

2001年。世界的に見るなら、21世紀はアメリカ同時多発テロ事件で始まり、それは、冷戦終結後の“新世界秩序”を誇らかに語っていた人々に冷や水を浴びせる出来事だった。しかし湾岸戦争がそうだったように、それは私とその周囲にとってテレビの向こうの出来事でしかなく、日一日の生活の重たさに比べてリアリティを欠いていた。

 

消息がわからなくなる人が出始めた。それはオフラインのゲーセンや居酒屋の知人たちに限った話ではない。インターネット経由で新たに知り合った人々にもぽつぽつと消息がわからなくなる人が現れるようになった。楽しみにしていたウェブサイトが、管理人の失業を告げる投稿からしばらくして更新停止になったり、ウェブサイトごと消えてしまったりする―そんな出来事もままあった。インターネット上のハイパーリンクの網の目からひっそりいなくなる人のことは、あまり話題にならなかった。そういう作法だったのか、誰も話題にしたくなかったのか。

 

大企業の正社員になった知人たちも安泰ではなかった。当時は社員の心身を守るためのコンプライアンス意識が現在よりずっと低く、退職を余儀なくされる人、うつ病などの精神疾患にかかる人が続出した。誰もが苦労し、疲弊していた。自分の手札で勝負し、その手札が切れかけて、その場に踏みとどまるか、撤退するかの選択を迫られる者も少なくなかった。

 

精神科医の駆け出しとなった当時の私は若く、そうしたなかで友人のメンタルヘルスの相談に真正面から乗ることもあった。

 

今だったら、少なくとも真正面からは相談に乗らないだろう。なぜなら、 (精神科医として)友人のメンタルヘルスの問題に耳を傾けすぎると、友人関係が破壊されて、治療者と患者の関係が始まってしまうからだ。

 

そうしてゲーセンや居酒屋をとおして繋がっていた人間関係が、櫛の歯が欠けるようにさびしくなっていった。後に、「ロストジェネレーション」と呼ばれる私たちは首尾よく就職したとしてもそれぞれの最前線でこき使われ、すり減らされ、一人また一人と力尽きていった。

 

後に流行語大賞でトップテンに選出される「ブラック企業」という言葉が匿名掲示板の2ちゃんねるで誕生したのもこの時期である。私自身も、仕事や私生活に色々な問題が生じて神経をすり減らしてしまい、この時期はダウンしていた。そうなってしまうと、新しい人間関係はもちろん、既存の人間関係も続けられなくなってしまう。なぜなら不義理だとか社交マナーだとか、そういったことを考える余裕すらなくなってしまうからだ。そこに失業のような経済的危機が重なれば尚更だ。当時、人間関係の環から抜け落ちていった人々は、そうして社交関係を続けられない事情へと追い詰められていったのだろう。

 

熊代 亨

精神科医

 

フォールン・ブリッジ

フォールン・ブリッジ

御田寺 圭

徳間書店

情報技術の発達とともに、だれもが手軽に 「つながり」を得られる時代になった。 スマートフォンの画面を覗いてみれば、 一人ひとりがいまなにをしていて、 なにを考えているのかが、 いままで以上に見えるようになった…

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