『なんとなく、クリスタル』の予言
バブル景気の本当の受益者は、ごく一部の経営者とそのおこぼれに与った従業員たち、それから投資や投機でひと山当てた人々だけだったのかもしれない。とはいえ先進国の仲間入りをして間もない当時の日本は現在よりも若く、明るく、経済的にもまずまず潤っていて、未来を悲観する人は少なかった。
最近は耳にすることが少なくなったが、「財テク」という言葉が新鮮味をもって語られていた時代でもある。たくさんの人々が証券会社に口座を開設し、書店には投資本が平積みにされていた。
「エコノミックアニマル」という言葉も聞こえてきたものである。当時の日本人を揶揄するその言葉は、日本がアメリカに迫るほどの経済力を手に入れながら、経済力以外のものを手に入れていないことを示唆していたし、1991年の湾岸戦争に際して経済援助だけで済ませようとした日本政府は諸外国の顰蹙(ひんしゅく)を買った。だが、その顰蹙は当時の日本人にどこまで届いていただろうか?
日本人の海外旅行客もそうだ。
1990年、日本人の海外旅行者数がついに1,000万人を超えた。カネ払いは良いが海外の習慣を知ろうとも尊重しようともしない、どこでもカメラのシャッターを切る日本人。コロナ禍の前に爆買いツアーに参加していた中国人旅行客たちがそうだったように、当時は日本人も声が大きく、マナーが洗練されていない人が多かった。急激に経済成長を遂げたからといって、それにふさわしいマナー・作法・コンプライアンスがすぐに浸透するわけではない―その値打ちも文脈もわからぬまま高級品を買い漁る当時の日本人旅行客はきっと野暮に見えただろうし、なるほど「エコノミックアニマル」と呼びたくなるものだっただろう。
他方で、日本が他の先進諸国を追い抜こうとしている兆候もあった。それは当時の若者たちのライフスタイルや感性だ。
朝シャンをはじめとするデオドラント(無臭)文化、コンビニエンスストアや24時間営業のファミレスをあてにした若者の一人暮らし、そして政治や社会に関心を寄せず、自分自身の好きなものに耽溺していく個人生活。欧米に遅れて先進国の仲間入りをしたはずの日本に、いや、遅れて先進国の仲間入りをしたからこその超─先進国的なライフスタイルや感性が台頭しようとしていた。
変化をいち早く言語化した作品のひとつが1981年に芥川賞候補となり、ミリオンセラーとなった田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』だ。ファッションブランドや東京の地名やレストラン等に膨大な注釈をつけつつ、田中は、衣食住や将来に悩むことのない若者たちの新しいライフスタイルを描いた。クリスタル族とも呼ばれた彼らのライフスタイルは1981年の段階では東京のアーリーアダプター(流行に敏感な層)の特権にも見え、田舎者には不可解ですらあった。
しかしそうしたライフスタイルはバブル景気の終わる1990年代には大衆化し、全国の老若男女が高級ブランド品やグルメを奢侈(しゃし)の記号として消費するようになっていく。
もうひとつ、『なんとなく、クリスタル』が予見していた事態がある。
同作品の巻末には、合計特殊出生率の低下、ひいては少子高齢化社会を予測する統計データが掲載されている。当時の読者は唐突な印象も受けたかもしれないが、2024年からみれば作中描写との繋がりはよくわかる。そのようなライフスタイルの社会は、たとえ経済的に恵まれていても持続可能ではない。そのことを田中はわかっていたのではないか。