「子ども時代はコミュ障、高校時代は出会いカフェ、大学時代はスナックとキャバクラに勤務」…波乱万丈の行政書士が、世界一高いブルジュハリファに引っ越すまで【ドバイ移住者・インタビュー】

「子ども時代はコミュ障、高校時代は出会いカフェ、大学時代はスナックとキャバクラに勤務」…波乱万丈の行政書士が、世界一高いブルジュハリファに引っ越すまで【ドバイ移住者・インタビュー】
(※写真はイメージです/PIXTA)

海外居住してリモートで仕事するといえば、エンジニアなどのIT関係を思い浮かべますが、実際にはIT関係だけとは限りません。今回は、ドメスティックな仕事をしつつドバイに居住した佐々木麻理子行政書士に話を聞きました。※本記事は、OWL Investmentsのマネージング・ディレクターの小峰孝史弁護士が監修、OWL Investmentsが執筆・編集したものです。

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お金がなく「コミュ障」だった子ども時代

ドバイ在住の行政書士として華やかな生活を送る佐々木先生。いかにもゴージャスなイメージですが、小さいころからキラキラと華やかな「陽キャ」だったのでしょうか?

 

写真:プールサイドでくつろぎながら仕事のリサーチをする佐々木麻理子行政書士(本人提供)
[写真1]プールサイドでくつろぎながら仕事のリサーチをする佐々木麻理子行政書士(本人提供)

 

子ども時代の私は、陽キャの正反対で、小学校・中学校時代は空気を読めず、人と話すのも苦手な、いわゆる「コミュ障」でした。家庭もとても厳しく、高校時代でさえ月のお小遣いは500円。父親が「清く貧しくあるべき」という考えを持っていたためです。

 

成長して高校生になると、次第に友達とコミュニケーションが取れるようになりました。それにともない、遊ぶためにお金がほしくなってきたのです。

 

最初はアルバイトとして、日給5,000円くらいで荷物の仕分けのような単純作業をしました。その後、渋谷でウロウロしていたときに声をかけられて始めたのが、個室で座っている男性とお話をするだけで5,000円もらえるという、出会いカフェの仕事です。でも、それ以上は手を出しませんでした。

スナック&キャバクラ勤務の大学時代、卒業後も就職せずキャバ嬢を…

家が貧乏だったので、18歳からは実家を出て、大学に通いながら時給1,200円のパチンコ屋のアルバイトをしていました。しかし、学費と生活費が足りなくなり、求人サイトで見つけた時給2,300円のスナックのアルバイトを始めました。それが人生の転機になりました。

 

おそらくスナックのママは、水商売の経験がない私を使いやすいと思って採用したのでしょう。夜8時から深夜1時くらいまで、週5日くらい仕事をしていました。ところが、仕事に慣れてきたころ、私にバックするはずだったお金をママが横取りしていたことに気がつきました。そんな折、ほかの女の子から「キャバクラに行けば時給4,000円だよ」と誘われて、キャバクラに移りました。

 

大学の授業には全然出席しておらず、単位もギリギリでしたが、留年してなんとか卒業しました。でも、就職活動はしませんでした。

 

大学3年になると、まわりの友人たちはみんな髪をまとめてスーツを着て、就職活動を始めます。でも私は、もはや夜の生活が染みついてしまって、早起きしてスーツを着て嫌な思いをしながら月20万円を稼ぐ意味を感じられませんでした。いまにして思えば、会社で学ぶことの大切さに気づいていなかったのだと思います。

 

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