富裕層にも、富裕層を目指す人にも読んでほしい
〈ゴールドオンライン新書〉が登場!
お金がなく「コミュ障」だった子ども時代

子ども時代の私は、陽キャの正反対で、小学校・中学校時代は空気を読めず、人と話すのも苦手な、いわゆる「コミュ障」でした。家庭もとても厳しく、高校時代でさえ月のお小遣いは500円。父親が「清く貧しくあるべき」という考えを持っていたためです。
成長して高校生になると、次第に友達とコミュニケーションが取れるようになりました。それにともない、遊ぶためにお金がほしくなってきたのです。
最初はアルバイトとして、日給5,000円くらいで荷物の仕分けのような単純作業をしました。その後、渋谷でウロウロしていたときに声をかけられて始めたのが、個室で座っている男性とお話をするだけで5,000円もらえるという、出会いカフェの仕事です。でも、それ以上は手を出しませんでした。
スナック&キャバクラ勤務の大学時代、卒業後も就職せずキャバ嬢を…
家が貧乏だったので、18歳からは実家を出て、大学に通いながら時給1,200円のパチンコ屋のアルバイトをしていました。しかし、学費と生活費が足りなくなり、求人サイトで見つけた時給2,300円のスナックのアルバイトを始めました。それが人生の転機になりました。
おそらくスナックのママは、水商売の経験がない私を使いやすいと思って採用したのでしょう。夜8時から深夜1時くらいまで、週5日くらい仕事をしていました。ところが、仕事に慣れてきたころ、私にバックするはずだったお金をママが横取りしていたことに気がつきました。そんな折、ほかの女の子から「キャバクラに行けば時給4,000円だよ」と誘われて、キャバクラに移りました。
大学の授業には全然出席しておらず、単位もギリギリでしたが、留年してなんとか卒業しました。でも、就職活動はしませんでした。
大学3年になると、まわりの友人たちはみんな髪をまとめてスーツを着て、就職活動を始めます。でも私は、もはや夜の生活が染みついてしまって、早起きしてスーツを着て嫌な思いをしながら月20万円を稼ぐ意味を感じられませんでした。いまにして思えば、会社で学ぶことの大切さに気づいていなかったのだと思います。
勤勉・従順に働いても、税・社会保険料を取られるだけ――。沈みゆく日本を脱出して「経済的自由」を掴み取れ!
東大法学部卒、オックスフォード大学MBAの国際弁護士小峰孝史氏が指南する「海外移住」「海外活用」という資産形成の新たな選択肢。ノウハウを惜しみなく解説した新刊電子書籍、絶賛発売中!