1年半、管理会社の手による入居者はゼロ
「満室にする」という言葉を信じて管理会社を選んだ筆者。契約を結び、2006年10月から管理が始まったのですが・・・。
1カ月で満室は無理にしても3カ月あれば当然満室になっているだろうと当時は安心しきっていました。しかし1カ月たっても何の連絡も入りませんでした。管理会社と契約した当時、9室の空きがありましたが、一向に埋まらなかったのです。とうとう誰一人として入居者が入らないまま2006年は過ぎていきました。
2007年の1月に担当の女性に電話して状況を聞きました。「小山駅の隣駅に自治医大駅があります。2月くらいになればその自治医大に募集活動にいきます」と答えてくれましたのでまた再び待つことにしました。しかしその後も入居者が決まりませんでした。
3月になると白鴎大学の運動部の学生が退室してまた同じ運動部の新入生が大量に入ってきました。運動部以外の入居者はゼロです。しかし58室中54室が埋まりました。実に入居率は93%です。私は一応安心してこの時は最初の話とは違うのではないかとかの不平不満を敢えて言うことはしませんでした。
2007年も1室も埋まりませんでした。でもまた来年大量の新入生が入ってくると担当の女性から聞いていました。その当時将来大変な状況になることは予想だにしていませんでした。そして2007年12月になり年越しの音が聞こえてきた時期に、とんでもない話が管理会社の女性担当者から入ってきました。それは来年入ってくる運動部の新入学生が2006年の15人に程遠い数字になっていることでした。
たったの4人と聞かされました。正に晴天のへきれきです。楽しくお正月を迎えようとしている最中に聞かされたのです。計算すると入ってくる新入学生は4人ですが、卒業で退室する学生が12人なので8室が純減になってしまうのです。
2006年の7月に建物管理委託契約書の印鑑を押してからわずか1年半後の出来事でした。満室にしますと言った管理会社がその間入居者を入れたことは一度たりともありませんでした。
「管理会社任せ」に懲り、自身の手による管理を決意
私は正直焦りました。そして正月が終わるやいなや私は行動に出ました。まず最初に、インターネットを使って小山市にある不動産会社を一つ残らずピックアップしました。そして賃貸の仲介をしている会社をノートにすべて書き出しました。そして名前の隣に電話番号とファックス番号を記入しました。まず電話でアポイントを取って挨拶回りをして募集の依頼をしました。その数は26社ありました。
同時に白鴎大学にも電話しました。以前担当者は白鴎大学にも募集の依頼はしてあると言っていましたが、実際行くと管理会社から電話もなければなにも依頼されていないことが判明しました。
こうなったら管理会社を首にするしかない、そして自分で管理しようと決めました。2月に担当者を中目黒のスターバックスに呼び出しました。その会う前日に管理会社との契約書をよく読み直ししました。
契約当時は信用していましたのでいちいちよく読まなかったのです。すると建物管理の項目で「定期的に本物件を巡回し」という文言を見つけました。私はこれを使おうと決めました。というのは管理会社の担当者は私が購入した後一度もマンションに行っていないことを知っていたからです。要は投資用不動産会社が片手間に管理をしていたのです。投資用不動産を売るのが先決でいちいち小山まで出向いて募集活動をする時間がなかったのです。
彼らがやったことといえば、管理会社に振り込まれた家賃を私の口座に振り込むだけでした。そんな簡単なことに管理料月7万円から8万円を支払っていたのです。
担当者と会う前日にこれ以上の手数料は一切払わないことを決めました。契約解除には「甲乙一方が契約に違反したとき」とあり「2カ月以上の予告期間」という文言もありました。しかし私は当日担当者に「これまでの債務不履行による手数料返還は言わないでおきましょう。これからはタカ・コーポレーションが管理業務をします。2カ月以内にすべての引き継ぎをしたいのでぜひ協力をお願いしたい。2月と3月の管理手数料は取らないでほしい」と言いました。女性の担当者は「私の一存では決められないので後日返事します」と言って席を後にしました。翌日に社長に電話したところ「はい中村さんの言うとおりにします」と言ってくれました。
一応交渉は相手が納得の上めでたく成立しました。私もマンションを仲介してくれて管理業務までやってくれた業者との腐れ縁もきれいさっぱりと切れたので心が吹っ切れてスッキリしました。と同時に気合いが入りました。よーしやるぞと気合いが入りました。