「就職氷河期」当時の採用市場とは?前後の世代と比較した違い
「就職氷河期」という言葉がメディアに初めて登場したのは、1992年秋のことです。当時、リクルートが発行していた就職情報誌『就職ジャーナル』に登場した造語であり、94年には新語・流行語大賞の「審査員特選造語賞」を受賞しています。
景気には波がありますので、日本でもたびたび就職難の時代は訪れています。1929年に公開された映画『大学は出たけれど』(小津安二郎監督)は流行語にもなっており、それからしばらくして起こった昭和恐慌では、大学や高専を卒業した学生でさえ就職が難しく、特に大卒文系の学生は就職率が4割を切ったと言われるほどの就職難に見舞われています。
くわえて、以後もたびたび就職難の時代は訪れています。しかし、1990年代にそれまでの「就職難」ではなく、「就職氷河期」という言葉が生まれたのは、その直前までの就職事情が「バブル景気」を背景とした「超売り手市場」であったことと関係しています。
バブル景気というのは、内閣府の景気動向指数上で1986年12月から1991年2月までの期間を指しています。そして、バブル景気の発端となったのは、1985年9月の「プラザ合意」です。プラザ合意というのは、先進5か国(日米英独仏)の蔵相(日本の場合。現在は財務大臣)と中央銀行総裁による過度なドル高を是正するための合意です。
ドル高による巨額の貿易赤字に苦しんでいたアメリカの呼びかけで開催されて合意に至ったわけですが、当時の円安によって輸出産業が好調だった日本ではプラザ合意以後、急速なスピードで円高が進行し、円高不況に直面します。
その打開策として、日銀が低金利政策に踏み切ったことで企業は融資を受けやすくなり、設備投資だけでなく、土地や株式の購入にも資金が流れ込み、地価や株価が高騰し始めたことによって始まったのがバブル景気です。
なかでも地価の高騰は凄まじく、バブル景気の最盛期には「土地の価格は絶対に下がらず上がり続ける」という「土地神話」を多くの企業や人が信じ込み、不動産関係の企業だけでなく、一般の企業も本業とは関係のない土地の購入やリゾート開発などに乗り出すなど、空前の不動産ブームが巻き起こりました。
そして土地さえ持っていれば、金融機関から多額の融資を受けることができ、そのお金でさらに土地を手に入れるという、まさに土地が巨額のお金をもたらす時代でした。土地の購入は日本国内だけにとどまらず、海外の不動産取得を進める企業も多く、企業経営者の中には不動産や株への投資で本業の何倍もの利益を上げ、その戦果を誇らしげに語る人もいたほどです。
反対に、この時期に株や不動産への投資を積極的に行わなかった企業は「変わり者」扱いされるほどで、日本ではまさに空前の不動産ブームが起こった時代と言えます。
企業や個人が株や不動産で巨額の利益を手にしたことで、今では考えられないことですが、高級車や高級住宅地、高額なブランド品なども飛ぶように売れ、社会全体がそれまでにない好景気を実感したのがバブル景気の時代でした。
バブル景気を取り上げた各種作品などで、タクシーを止めるために1万円札を手に持ってひらひらさせた、クリスマスには高級ホテルがカップルで満室になった、彼女にプレゼントするために高級ブランドショップに人が殺到した、といったさまざまなエピソードが披露されていますが、たしかにバブル景気の時代には、比較的多くの人が好景気を実感していたと言えます。