超売り手市場から就職氷河期へ
こうした好景気を背景に繰り広げられたのが、就職活動の「超売り手市場」です。当時は大卒男子の半数近くが上場企業に就職できた時代であり、銀行や保険、証券といった当時人気のあった金融業界や、勢いのあった不動産業界などに多くの学生が応募し、多くが採用された時代です。
この時代、上場企業といえども、人気のない企業が優秀な学生を採用することはとても難しく、企業説明会に出席した学生たちに交通費を支給したり、テレホンカードなどを配布したりすることはなかば常識になっており、学生の中には何社もの説明会を掛け持ちすることでかなりの金額を手にする人もいたほどです。
なかでも熾烈(しれつ)を極めたのが、内定者をいかに正式採用にまで持って行くかです。なかには資料請求のはがきを出したら返信ハガキが内定通知だったとか、説明会に参加しただけで内定が出た、といった今では考えられないほど簡単に内定(表向きは内定解禁日前の内定のため「内々定」)が出たため、学生の中には複数の内定は当たり前で、なかには二けたにのぼる内定を手にする人も珍しくなかったほどです。
もちろん、簡単に内定が出るからと言って、誰もが希望する大企業に就職できるわけではありませんでした。しかし、就職氷河期のような「そもそもスタートラインにさえ立てない」ということはなく、多くの学生が大手企業の説明会に参加し、面接などに進むことができた時代でもありました。
反面、学生が多くの内定を手にすればするほど、その選択権は学生が握ることになります。結果、企業の採用担当者は「多すぎる採用人数」を確保するために一定の辞退者を見越した多めの内定を出すわけですが、次には内定辞退を防ぎながら採用目標を達成することが求められます。
そこで繰り広げられたのが、内定者を「囲い込む」ための頻繁な食事会や、内定解禁日に他社に行かれるのを防ぐための温泉旅行や海外旅行です。当然、膨大な経費がかかりますが、バブル期には各企業とも驚くほど多くの人を採用していただけに、その人数を確保するためには、学生のレベルを落としてでも内定を出すほかありませんし、内定辞退を防ぐためには他社に負けないだけの「接待」をするほかなかったというのが実情でした。
学生はまさに「金の卵」であり、「大切なお客さま」でした。実際、私も学生時代、先輩たちがあまりにも簡単に内定を手にする話を聞いて、「就職活動ってこんなに簡単なんだ」と高を括っていました。
しかし、いざ自分が就職活動をする際には就職氷河期と重なったことで、「話が違う」と慌てたことを覚えています。
こうした今では考えられないような「超売り手市場」で就職活動をした世代が、いわゆる「バブル世代」です。バブル世代は好景気の時代を経験し、好景気の時に恵まれた就職活動を行い、好景気の時に社会に出るわけですが、ほどなくしてバブルが崩壊したことで長く続く景気低迷の時代を生きることになります。
バブルの崩壊によって大きな痛手を受けたのは、バブル景気の中で業容を拡大し、不動産投資や株式投資に多額の資金を投じ、必要以上に多くの人員を採用した企業です。要因としては、行き過ぎたバブルを抑えるための借り過ぎや貸し過ぎを防ぐために設けられた融資限度額に対する総量規制や地価税の導入、公定歩合の引き上げなどを挙げることができます。
資金を断たれた上に、融資の担保にしていた不動産の価格が急落、担保割れを起こして倒産に追い込まれる企業も少なくありませんでした。結果、バブル崩壊によって過剰設備や過剰債務、過剰人員の問題を抱えることになった企業は、こうした負の遺産の解消に取り組むほかはなく、その1つとして「採用数の極端な抑制」に取り組むこととなったのです。
その意味では、就職氷河期世代はバブル期のあまりに大きすぎるツケを払わされることになったと言えるでしょう。
永濱利廣
第一生命経済研究所
主席エコノミスト