なんで?…投資家たちが戸惑う「植田総裁の急変」
市場の戸惑いの中心は「植田総裁の姿勢の急変」であろう。従来の説明に基づくなら7月の利上げは考えにくかった。植田総裁が説明してきた金融引き締めの条件、「賃金と物価の好循環」が始まっているとは到底言い切れないからだ。
5月の実質賃金は前年比-1.3%と26ヵ月連続の水面下にある。秋口にはプラスに転ずる可能性はあるものの、来年まで浮上は無理との見方もある。また実質消費支出(前年比)を見ても1月-6.3%、2月-0.5%、3月-1.2%、4月0.5%、5月-1.8%とマイナス基調から抜け出せていない。
こうしたことから、日銀は7月の展望レポートにおいて2024年度の実質成長率見通しを0.8%から0.6%に引き下げた。植田総裁はデータ重視と言いながら、データが明らかになる前に利上げに踏み切っており、明らかに“前のめり”といえる。
さらに、円安に対してもトーンが大きく変わった。4月の時点では、「円安進行による物価への影響は無視できる範囲である」との認識を示していた。
しかし今回7月末の会見ではドル円レートが155円とほぼ変わっていないのに、円安による物価上昇圧力が2%の目標から上振れさせるリスクがあるので、早めに対応(利上げ)したと主張を変えた。
「物価上昇の主因は海外に由来するコスト・プッシュ要因であり、それは家計の実質所得減と企業収益の負担増をもたらす。これを抑制しようとして金融引き締めを行うと、経済や雇用環境を悪化させる」という従来からの説明に市場は納得していた。
それなのに日銀は、7月の決定会合では為替が物価に与える悪影響が大きいので利上げが必要というスタンスに転換したのである。
日銀が“圧力”に屈した可能性
何故なのか、2つの理由、①政治圧力、②日銀の利上げバイアス、が考えられる。
政府・与党から日銀に円安への対応を求める発言が相次いだ。岸田首相は7月19日に「金融政策の正常化が経済ステージの移行を後押しする」と述べ、さらに、河野デジタル相や自民党茂木幹事長からも利上げを求める発言が続いた。この圧力に屈した可能性がある。
第2は「金融政策の正常化」という宿願にとらわれて、日銀が前のめりになっているのかもしれない。日銀幹部のなかでは「実質金利が低すぎる」という共通認識があるといわれている。6月のCPIは2.8%、国債利回りは0.9なので実質金利は-1.9%と大幅であり、「借り得」の状態が続いている。
日銀幹部は、この実質金利マイナスの状態を“利上げ余地”と考えている節がある。将来景気が悪化した時に、利下げできる“のりしろ”を確保したいという願望である。マイナスの実質金利はリスクテイクを促進し需要を拡大するためにこれまで堅持されてきたが、モラルハザードを引き起こすという副作用にトーンがシフトする可能性がある。
日銀のスタンスが安倍・黒田体制以来10年にわたって続いたリスクテイク促進から、リスクテイク抑制へとシフトしたと市場が疑い始めれば、地滑り的な投資心理の悪化を引き起こす。植田総裁は「非常に低い金利水準での調整なので、景気に大きなマイナス影響はない」と述べ景気の失速の懸念を一蹴した。
しかし時期尚早の利上げが、米国の景気後退および利下げサイクルと共振して円高を引き起こし、日本経済に打撃を与えた2000年と2007年の悪夢が繰り返されないという保証はない。
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