開業医の夫が倒れ、経営するクリニックは廃業へ
今回の相談者は、60代専業主婦の鈴木さんです。開業医の夫が倒れたことで、贈与や相続について考える必要が生じたとして、筆者のところへ相談に訪れました。
大学病院の勤務医だった鈴木さんの夫は、40代で独立して都内にクリニックをオープンしました。経営に診察にと、多忙な日々を過ごしていましたが、60代になる前に、神経系の病気が発覚。自身も治療しながら勤務を続けていましたが、数カ月前、心筋梗塞で倒れてしまいました。
「自宅にいるときに倒れたので、すぐに救急搬送できましたが、一時は深刻な状況でした。いまは病棟に移って落ち着いていますが、今後のことが心配で…」
「生命保険を解約するか、自宅を売却するしか…」
クリニックは、夫ひとりで切り回しており、診療を代わってもらえる医師はいません。病状から今後の復帰もむずかしいため、廃業してリハビリに専念するとなりました。
しかし、廃業にあたっては、賃借しているフロアを解約・原状回復工事が必要になります。
「夫に代わって私が諸々の手続きを行っていたのですが、夫の預金が想像以上に少なくて…。通帳を見て、思わずウソでしょ!? と叫んでしまいました」
クリニックの原状回復には3,000万円近い費用がかかり、生命保険を解約して費用を補填するしかないというのです。
鈴木さんのご主人はいわゆる「宵越しの金は持たない」タイプで、贅沢が好きなうえ、親族に頼られると気前よくお金を出すなどしていました。ところが、自身が病気をして無理ができなくなってからコロナ禍となり、患者数は激減。しかし、医療機器には多額のローンが残っており、経営状態は極めて厳しい状況でした。
「こうなったら、生命保険を解約して、自宅を売却するしかありません。でも、そのあとはどうしたらいいのでしょうか。夫を介護して、見送った先はどうなるのか…。息子たちのお荷物になるのは避けたいです…」
そういうと、鈴木さんはうつむきました。
医師の妻をひるませた、弁護士の「離婚」アドバイス
鈴木さん夫婦の自宅は、人気の高い駅から徒歩5分の好立地にある戸建て住宅です。ローンは返済ずみで負担はありません。2人いる子どもはすでに結婚して独立しており、10年以上前から自宅は夫婦2人で暮らしています。
結婚期間が20年を過ぎたとき、鈴木さんは節税対策としてご主人から贈与を受け、自宅を共有名義にしています。
「家の名義は、5分の3が夫で、5分の2が私です。夫が入院中では家が売れませんので、心配になり、友人が紹介してくれた、友人の親族だという弁護士に相談したのですが…」
弁護士から勧められた解決策は「離婚」でした。離婚時の財産分与として、自宅の名義をすべて鈴木さんにすればいい、というアドバイスだったそうです。
「離婚の前に、まずは生命保険を解約してクリニックの原状回復工事代の一部にあて、そのあと、自宅の土地家屋の名義をすべて私にしてもらってから売却し、負債を清算するということで、問題はないでしょうか? 相談した先生からは、〈名義変更には多額の贈与税がかかるから、気を付けて」とアドバイスされましたが…」
筆者と提携先の税理士は、鈴木さんが売却しようと思っている自宅について、改めて考えを聞きました。
「いまの家は広すぎますし、バリアフリーでもないので、マンションへの住み替えを考えています。夫は退院しても介護が必要なのです」
いちばんの節税は「夫婦2人で普通に売却」
相談した弁護士から「夫から贈与を受けたあとに売却」という流れを提案された鈴木さんですが、すでに「夫婦の間で居住用の不動産を贈与したときの配偶者控除」を使っているため、今度は一般的な贈与になります。そのため贈与税、名義変更に伴う費用、不動産取得税がかかります。さらに、売却時も「マイホームを売ったときの特例」(詳細は文末を参照)の3,000万円控除は1人分しか使えないため、余分な贈与税、所得税(譲渡所得)、不動産取得税を払うことになるのです。
税理士は、夫婦2人で普通に売却することがいちばん節税になると説明し、鈴木さんが納得されたことから、筆者がお手伝いすることになりました。鈴木さんのご主人は入院中ですが、意思確認ができるほどには回復はされていたため、手続きも問題はありません。
無事に自宅売却が決まり、資金的な余裕も
立地がいい鈴木さんの自宅は、すぐに購入希望の不動産会社が見つかりました。建物の解体は不要という条件も付けることができ、すぐに話がまとまりました。
2ヵ月後の決済時も、ご主人はまだ入院中でしたが、司法書士が病室まで出向いて本人の意思確認を行い、問題なく決済代金も受領。相談から4ヵ月で売却というスピード解決となりました。
当初に相談した弁護士のアドバイスは「夫から贈与」「離婚」というものでしたが、その方法では、生命保険の解約金でクリニックのフロアの原状回復費用は捻出できても、自宅売却後の手残りがなく、その先の見通しは立ちにくかったと思われます。
共有名義で夫婦2人が暮らす自宅の売却なら、2人とも特例が活かせます。そのため、鈴木さんご夫婦は譲渡所得への課税がされず、資金的な余裕も生まれました。特例の詳細な説明は国税庁のウェブサイトをご確認ください(No.3302 マイホームを売ったときの特例)。
保険の解約はもったいない結果になりましたが、短期間での自宅売却による資金の確保と住み替え先のマンションの決定に、鈴木さんは大変喜んでおられました。ご主人は戸建てに愛着があったようですが、退院後の生活を考え、納得されたようでした。
収入の高い仕事に就いている方でも、病気やその他の理由で収入が落ち込んだり、ゼロになったりするリスクはあります。心配ばかりする必要はありませんが、どのような状況にあっても、万が一のことを考え、対策を立てておくことが大切です。ある程度の年齢となっていれば、さらに相続についても見越しておくことが重要になります。
「一時はどうなるかと思いましたが、これで安心して暮らせます」
鈴木さんは安堵の表情を見せてくれました。
※プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。
曽根 惠子
株式会社夢相続代表取締役
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
◆相続対策専門士とは?◆
公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。
「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。
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