多死社会が突きつける「寿命」の問題
記事『75歳以上の高齢者に「一人当たり毎月15万円給付」という方法も…基本年金創設で実現する、少子高齢化時代の社会保障制度』で見たように、社会保障の費用負担は、「税は高齢世代への給付のための財源」、「保険料は現役世代の給付のための財源」とスッキリ色分けされる。その結果、個人レベルでは、負担の目的がハッキリし、納得感も得られやすくなる。給付面では、一生涯を通して見れば、これまで通り「共助」「公助」によって支えられるので、安心感を持てる。同時に、支える側と支えられる側がお互いに納得感・安心感を持てているので、社会レベルでは、社会的連帯のもと、右肩下がりの人口・経済にも負けない強靭な社会保障制度がよみがえるはずだ。
併せて必要なのが、福祉元年あたりから急速に変わってしまった日本人の死生観を「多死社会」の現状にふさわしいものにすることである。要するに、福祉元年以前に戻すのだ。
人口転換論によれば、出生率と死亡率からなる人口動向は4段階に分けることができ、経済社会の発展に伴い、「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)を経て、やがて「少産少死」(低出生・低死亡)に至るとされている。
現在の日本は人口転換論によれば、第4段階の「少産少死」に当たるとされるが、実際には、第5段階の「少産多死」のステージにある、いわゆる、「多死社会」である。
死亡者数は2021年時点では、スペイン風邪の影響を受けた1918年149.3万人の過去最悪に近い144.0万人となっている。今後は、団塊の世代の高齢化に伴い死亡者数は増加の一途を辿り、2039年には167.9万人となる。
日本では、1951年には82.5%の人が自宅で亡くなっていたが、さらに、1973年の福祉元年で老人医療費が無償化されたこと、医学部の増設により医師数が増えたことなどが追い風となり1976年に病院死が自宅死を逆転し、現在では病院死が69.9%、在宅死は15.7%と、6人に一人に過ぎない。
病院死が現状のまま推移するとすれば、団塊の世代が最期を迎えはじめる2030年前後からは毎年の死亡者数が160万人超と見込まれるので、病床数が不足するのは確実だ。
これに対して、他の先進国では病院死はオランダ35.5%、フランス58.1%、スウェーデン42.0%、イギリス54.0%、アメリカ56.0%となっている。
日本でも高度成長開始頃までは、家制度がいまだ根強く残存する中、子どもや孫に囲まれて最期を迎えるなど当たり前に行われていた自宅での看取りであるが、高度成長開始に伴い核家族化が進み、高齢の親や祖父母との同居も珍しくなった今の日本では「当たり前でないこと」になっている※1。
※1 映画『おくりびと』のモデルであり原案となる小説を書いた青木新門氏は読売新聞のインタビュー「[QOD生と死を問う]死を語る(中)死に姿で知る「生きる」青木新門さん」(2017年1月30日)で「いつの頃からか、ぶよぶよとした遺体が増えてきました。
延命治療を受けてきた方に多いようです。私には、死を受け入れず、自然に逆らった結果のようにも感じられます。死期を悟って、死を受け入れたと思える人の遺体は、みな枯れ木のようで、そして柔らかな笑顔をしています。亡くなる直前まで自宅などそれぞれの居場所で、それまでと変わらぬ日々を過ごしてきた人の多くがそうだった気がします。
体や心が死ぬ時を知り、食べ物や水分を取らなくなり、そして死ぬ。それが自然な姿なのではないか。今、そういう死に姿は少ない。医師は一分一秒でも長く生かすことを使命だと思っているし、家族は少しでも長く生きるのが重要とばかりに「がんばって」と繰り返す。本人が死について思うことや、気持ちは聞かない。生命維持に必要な機械のモニターばかり見つめ、死にゆく本人を見ていない。大切なことを見逃し、聞き逃してきたのです」と答えている。
今や日本は世界一病院死が多い国になったのだが、これは、各国の「死生観」の違いが影響していると考えられる。欧米諸国は高齢者の終末期としては緩和医療だけを行い、口から食べたり飲んだりできなくなったら、そのまま亡くなるのが自然だと考え、点滴や経管栄養は行わないのが一般的だ。日本では、回復の可能性がわずかにでもあるのなら延命治療を選択するので、結果的に病院で亡くなるケースが増えていく。
多死社会が私たちに突きつけるのは医療ではどうしようもできない「寿命」の問題である。先に見た多死社会とは、永遠に寿命が伸び続けることはあり得ないという当然の事実から導かれる超高齢社会の行き着く先と言える。
医療技術が進歩し、検査によって様々な疾患を容易に発見しやすくなったので、老化を病気と取り違えた高齢者が病院で受診すれば何らかの病気が見つかり、しかも、適切な治療も受けられる結果、ある程度は延命され医療費がかさんでしまうことが、日本の医療の問題と言える。実際、2019年度の国民医療費総額43.4兆円のうち後期高齢者医療費15.1兆円と3分の1強を占めている。
つまり、老いに医療がどこまで関与するのか、そしてわれわれはどの時点で老いを受容するのかという点について、医学がいくら発達しても「人は必ず死ぬのだ」という事実を念頭に置きつつ、国民的な議論が必要となる。残酷なようだが、老いと病気を峻別し、病気は医療の対象とするが、老いは医療の対象とはしない。淡々と老いを受け入れる覚悟が必要である。
一方で、日本人の死生観という点では注目に値するデータがある。日本人の主な死因で、2000年代後半から老衰が急増しているのだ。これは、介護保険の創設や在宅医療の充実、医療と介護の連携の成果とともに、無理な延命や検査を拒否し、自然な最期を迎えたいと考える人々が増えていることを意味する。
こうした老衰による死亡者の増加は、実は高齢世代の半数以上が病院ではなく自宅で最期を迎えたいと希望していることを反映しているのかもしれない※2。
※2 日本財団「人生の最期の迎え方に関する全国調査結果」(2021年3月)によると、67歳~81歳の人のうち、人生の最期を迎えたい場所を「自宅」と答えた者が58.8%、「医療施設」は33.9%だったのに対して、絶対に避けたい場所は、「子の家」42.1%、「介護施設」34.4%だった。
こうした動きを後押しするためにも、訪問医療や訪問看護、訪問介護の充実、ホスピスの整備などを進めていく必要がある。
歴史と妥協の積み重ねとしての社会保障制度
社会保障が生まれ、現在のような姿になるまでには、様々な歴史的な要因と、個人(家族)・国・市場(企業)の役割分担の変遷があった。
もちろん、日本の社会保障制度も例外ではない。より高いレベルの安心を求める国民・労働組合、国民らの期待に応えたい厚生当局、財政負担を気にする財政当局、票につなげたい政治家など多くの関係者間の妥協の積み重ねのもと、現在の制度があるのだから、直接国民に対して責任を取れない官僚には、これまでの歴史的経緯を無視して、白地のキャンバスに一から絵を描くような大改革は無理なのだ。大改革ができるのは、国民の後押しを受けた、政治家だけなのだ。官僚がやれるのは、あくまでいろいろな改革の素案を作って、政治家に示すところまでだ。
政治家は官僚が作った改革の素案の中から、各々の支持者(団体)が納得しそうな案を選び、決定していくことになる。
ここで問題になるのは、やはりバラマキたがる政治とクレクレ民主主義だ。人口が減少し経済も低迷を続ける現代日本のような右肩下がりの社会では、社会保障制度改革は、高齢世代と若年世代もしくは現在世代と将来世代の間のゼロサムゲームでしかない。つまり、高齢世代の給付水準を維持しようと思えば若年世代の負担が膨らみ、若年世代の負担を軽減しようとするならば高齢世代の給付を削減せざるを得ない。
あるいは、若年世代及び高齢世代の給付を増やすには将来世代の負担を増やすしかないし、将来世代の負担を軽減するには現在世代の負担を増やすしかない。したがって、社会保障制度改革で、どちらの側に立つにしても、必ず角が立つ。
全ての利害関係者がハッピーになれる社会保障制度改革は残念ながら現代日本には存在しない。
こうした中で、財政制約を強く意識した社会保障制度改革を実行しようと思えば、どうしても(高齢世代の)民意と(現役世代の)民意のぶつかり合いにならざるを得ない。民意のぶつかり合いになれば、政治的に「弱い立場」にある若者世代が貧乏くじを引くことになる。
島澤 諭
関東学院大学経済学部 教授
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