インドにも自治を約束したが、反故にするイギリス
大戦中のイギリスは、インド人にも戦後の自治を約束し協力を求めました。100万人以上のインド人がイギリス軍に入隊し、祖国のために戦ったんですが、戦後の1919年インド統治法で認められた自治は名目的なものでした。
怒れるインド人を、イギリスはローラット法で押さえつけます(「令状なしの逮捕、裁判抜きの投獄」を定めたこの法、もはや法治国家の体すらなしていませんよね…)。
こうなれば、インド人とイギリスの衝突は不可避なわけで、無防備の民衆が発砲をうけて多数の死傷者が出ました※。
※ イギリスとインド側が主張する死傷者数には開きがある
この事件と同時期、「イギリスに断固報復すべきだ!」と憤る民衆に対して「暴力を用いても、互いが憎み合って悪循環になるだけ。我々は野蛮なイギリス人と同レベルになってはいけない」と非暴力・不服従(サティヤーグラハ)による抵抗を説いたのがガンディーでした。
店舗や工場を一斉休業して断食し※1、自ら糸を紡いでイギリス製品を不買し、選挙をボイコット。イギリス人に暴力で取り締まられても決して反撃しない※2。
※1 ハルタール
※2 無抵抗のインド人への暴力は、国際的非難を呼んだ
はじめは消極的な印象だったこの戦術も、次第にインドの大衆を巻き込み、また一時はイスラーム教徒の全インド=ムスリム連盟も共闘する一大ムーヴメントに。
民族運動の最大組織国民会議派も、1929年のラホール大会で非暴力・不服従の方針を採用しました。「完全独立(プールナスワラージ)」を採択したこの大会の中心にいたのが、のちの初代首相ネルーですね。
疲弊したイギリスはインドへの譲歩を余儀なくされていき、ついに1935年インド統治法において州レベルの自治※は認められることになりましたが「独立」はいまだならず、という状況です。
※ ≒内政
平尾 雅規
河合塾
世界史科講師
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