「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」の違い
日本国憲法に定められる国民主権と異なり、明治憲法(大日本帝国憲法)には天皇主権が定められました。
日本は「万世一系」の天皇が統治し、天皇は「神聖」不可侵である一方、天皇は「元首」であり、憲法に従って統治権を行使する立憲君主とされました。
そして、三権分立の体制となり、司法権・行政権・立法権は、それぞれ裁判所・内閣(国務大臣)・帝国議会が天皇を補佐する形式で行使されました。日本国憲法と比べると形式的な三権分立と言えます。
議会も関与できないほど強い権力をもつ「天皇大権」
天皇大権は天皇に属する権限として憲法に明文化されたもので、法律に代わる緊急勅令の発令権、陸海軍の作戦・指揮を行う統帥権、陸海軍の常備兵額を決める編制権などがありました。天皇大権は帝国議会が関与できず、公選制の衆議院を通した国民のチェックが効きません。
天皇大権は国務大臣の輔弼[ほひつ](=助言)で行使されますが、統帥権は内閣(国務大臣)も関与できず(統帥権の独立)、軍令機関長である陸軍参謀総長・海軍軍令部長が輔弼しました。
内閣と帝国議会は、憲法でどのように規定されたのか?
明治憲法には内閣の規定が無く、「国務各大臣」の「輔弼」で天皇の行政権が行使される単独輔弼制でした。
日本国憲法では国会が首相を指名し、内閣が連帯して国会に責任を負う議院内閣制ですが、明治憲法では内閣の帝国議会への責任が不明確で、政府(内閣・官僚機構)は行政を強力に推進しました。
また、宮内大臣(宮内省長官)と内大臣は内閣の外に置かれ(宮中・府中の区別)、近代的な皇室と政府の関係が築かれました。
帝国議会は、予算や法律に対する「協賛」(=承認)の形で天皇の立法権を行使しました。衆議院・貴族院の二院制で、両院は対等でした。衆議院が可決しても貴族院が否決すれば成立せず、衆議院の権限は貴族院に制約されました。
【帝国議会】
衆議院……有権者の選挙による公選議員(最初は定数300名)
貴族院……華族議員(世襲や互選)・勅選議員(天皇が任命)・多額納税者議員
国民は天皇の「臣民」…あくまでも“法律の範囲内”で権利が守られる
国民は、天皇の「臣民」とされました。日本国憲法には、基本的人権の永久不可侵が規定されていますが、明治憲法の規定では、言論・集会・結社の自由などの「臣民」の権利は法律の範囲内という制限がありました。
大日本帝国憲法制定に合わせ刑法、諸法典も整備
既に施行されていた刑法などに加え、憲法制定に合わせて諸法典が編纂されました。
しかし、フランス人顧問のボアソナードが起草した民法は個人の権利を重視しており、穂積八束[ほづみやつか]が論文「民法出デテ忠孝亡ブ」で、伝統的道徳が破壊される、といった批判を行い、民法典論争が起こりました。そして、のち改正された民法は強大な戸主権を規定し、伝統的な家制度が残存しました。
ともかく、日本が法治国家となったことで、条約改正の条件が整いました。
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