日本初の「選挙」実施も…有権者は国民のわずか“1%”
憲法と同時に公布された衆議院議員選挙法(1889)では、制限選挙が定められました(有権者は直接国税(地租・所得税)15円以上を納める25歳以上の男性、人口の約1%)。
また、黒田清隆首相は、政府が政党に左右されず政策を進める超然主義を表明しました。
しかし、〔第1次山県有朋内閣1889~91〕が実施した第1回総選挙では、民権派の民党(立憲自由党・立憲改進党、野党)が過半数を獲得し、民意を背景に衆議院での影響力を増していきました。
第1~第4議会…政府「軍事費増額!」vs.自由党・立憲改進党「行政費削減!」
第1議会では、山県首相が主権線(国境)に加えて利益線(朝鮮)の防衛を主張して軍事費増額を要求したのに対し、民党は政費節減(行政費削減)・民力休養(地租軽減)を掲げて反対しました。立憲自由党は豪農(地主)が支持基盤で、彼らによる地租軽減の主張を代弁したのです。
このような対立は、〔第1次松方正義内閣1891~92〕の第2・第3議会(その間の第2回総選挙では品川弥二郎内相による民党への選挙干渉があった)でも同様でしたが、〔第2次伊藤博文内閣1892~96〕の第4議会では、明治天皇が政府と帝国議会の協力を求めた建艦詔勅[けんかんしょうちょく](和衷協同の詔書[しょうしょ])を発し、軍拡予算が成立しました。
第5・第6議会…自由党は政府と手を組むも、立憲改進党は条約改正に反対し対立
のち、自由党(立憲自由党が改称)は政府に協力して政治責任を分担することを自覚し始め、陸奥宗光外相による条約改正(外国人の内地雑居を認める代わりに治外法権の撤廃を獲得)に賛成しました。伊藤首相も、衆議院第一党の自由党と協力したスムーズな議会運営を望んだのです。
ところが、立憲改進党は吏党(与党)に接近して対外硬派連合を結成し、欧米資本の侵入をもたらす内地雑居に反対して現行条約励行(外国人に開港場居留地への居住を続けさせる)を唱えました。
立憲改進党は都市商工業者が支持基盤で、彼らによる内地雑居反対の主張を代弁したのです。この対立は、日清戦争開始(1894)まで続きました。
山中 裕典
河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校
講師
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