“世界一カネを稼ぐ国”イギリス
19世紀後半、放っておいても世界一のイギリス製品を消費者が選んでくれる時代はもはや過去の話。イギリスは植民地支配を強化することによって市場を囲い込み、ここに帝国主義的な対外膨張政策が本格化します。
ただし、イギリスは世界一カネを稼ぐ国であり続けます。工業製品の貿易収支が悪化した分を、海運・保険・投資といったサービス収入で補ったのです(世界の銀行)。
ところで、重化学工業は軽工業に比べて工場そのものがデカイですよね。企業規模も自ずと大きくなり、設備投資のためには銀行からカネを借りる必要がありました。こういった経緯で産業資本と銀行資本が融合した金融資本が形成されます。
1873年に始まる不況※も、この時代のポイントです。
※ ウィーン証券取引所の株価大暴落が発端
ヨーロッパではモノが売れない! ということで、各国は市場確保のために植民地拡大に乗り出し保護貿易を採用。不景気に不満を持った労働者が社会主義運動に熱を上げたため、そのガス抜きをするために政府が植民地獲得に向かってナショナリズムを刺激した側面もあります。
また不況下では競争に敗れた企業はどんどん淘汰(とうた)され、買収や合併が相次ぎました。第2次産業革命で出現した大企業がさらに巨大化して市場を独占する、独占資本の登場です。
今までの植民地には製品市場、原料・商品作物・資源の供給地という役割が期待されていましたが、新たに成立した金融資本や独占資本は、政府とつるんで植民地に資本を投下(=資本すなわち企業が、植民地で工場や鉄道などのビジネスを手掛ける)しました。
このように「市場を囲い込み、プランテーションや鉱山を経営し、企業も活動する」ためには、対象となる国や地域をガッチリ囲い込み支配下に置く必要がありますよね。こんな感じで植民地化をイメージしてみてください。