パワーポイントの落とし穴
ベゾスはなぜ、組織の隅々にまで浸透していたパワーポイントというコミュニケーションツールの廃止を急がねばならないと考えたのだろうか?
その問いの鍵を握るのは、ベゾスが出張中に読もうと機内に持ちこんだページの論文であった。ベゾスの隣の席で、ブライアーも同じ論文を読んだ。2人は、上級幹部会議での意思決定のあり方を改善する方法を探していたのだ。
その答えは、E.T.の作品中にあった。映画に登場するE.T.ではなく、イェール大学のE.T.データビジュアライゼーション分野のパイオニアとして知られるタフティ教授は、 『(パワーポイントの認知スタイル) 』と題する論文で、箇条書き方式のスライドで情報を伝える従来のスタイルは、「たいていの場合において言語的および空間的推論を弱め、必ずと言ってよいほど統計分析を台無しにする」と説明している。
教授は論文の最初の段落でこの批判を提起し、その主張は論文全体を通して、より辛辣になっていく。彼は次のように述べている。
「日常的な業務において、パワーポイントのテンプレートは、未熟で混乱を極めたタイプのスピーカーが話を整理できるという観点から、全プレゼンテーションのうち10%ないしは20%に改善をもたらす可能性がある。ただし、その代償として、残りの80%には明白な知的損失をおよぼすのである。統計データに関して述べれば、そのダメージのレベルは認知症に匹敵する」
タフティによれば、「パワーポイントのおかげで、話し手は真に価値ある話をしているようなふりをし、聴衆は聴衆で理解していると思いこむことが許される」のだという。
タフティは読者に挑む。美しくなれると謳った、高価だが広く普及している薬を想像してみよと。
「その薬は、一般的な薬の副作用とは異なり、私たちを愚鈍にし、私たちのコミュニケーションの質と信頼性を低下させ、私たちを退屈な人間に変え、同僚の時間を浪費させる。これらの副作用と、その結果生じるとても満足できかねる費用対効果の比率をかんがみれば、世界的な製品回収につながってもおかしくない」
タフティは、このようにパワーポイントを心底嫌っている。どうしてだろうか?
箇条書きによって省かれてしまうもの
私は、ベゾスとブライアーが2004年に機上で読んだのと同じ論文を丹念に精査した。アマゾン、そして同社のナラティブ戦略を採用した他の多くの企業に、大変革を起こすきっかけを作った論文である。多くのアマゾン出身者が、6ページから成るアマゾンのナラティブ文書を模倣して、自分が立ち上げたスタートアップに導入したことを認めているのである。
パワーポイントに関するタフティの分析を検証し、彼がどこにパワーポイントの限界を見出したのかを探ることには意義があるはずだ。タフティの批判の矛先は、文章や段落から構成される議論を単語の羅列や箇条書きで置き換えた、パワーポイントを用いた典型的なプレゼンテーションに向けられている。
タフティは次のように論じる。「箇条書きにより、行間、つまり各ポイントのあいだに存在するはずの思考や意図が省かれてしまうことで、因果関係の前提や、論理的思考の分析構造を無視、あるいは隠してしまうのである」箇条書きのリストは、言葉を簡潔なフレーズに圧縮する、話し手の側の手法である。箇条書きであらましを説明することは、「時々は役に立つかもしれないが、通常は主語と動詞のある文章の方が良い」とタフティは述べている。