バブル崩壊から30年経つが…日本がいまだ「長期不況」から抜け出せない理由【エコノミストが解説】

バブル崩壊から30年経つが…日本がいまだ「長期不況」から抜け出せない理由【エコノミストが解説】
(※写真はイメージです/PIXTA)

バブル崩壊後、日本に定着した「低所得・低物価・低金利・低成長」。日本がこの長期不況から抜け出せない要因として、日本がリーマン・ショック後に犯した「完全な失策」があると、『日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか』著者で第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏はいいます。日本経済復活の日はやってくるのか、みていきましょう。

日本が克服できなかった「デフレ」…アメリカが克服できたワケ

海外の国々が日本の長期停滞から学びとり、見事リーマン・ショックから立ち直ることができた経済政策とは、どのようなものなのでしょうか。

 

リーマン・ショック当時、FRB議長だったベン・バーナンキ氏は、プリンストン大学でバブル崩壊後の日本の長期不況を研究していた人です。そして偶然にも、彼の任期中の2008年9月15日にリーマン・ショックが起きました。

 

FRBとは、米連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)のことで、アメリカの中央銀行にあたります。同年10月8日には、アメリカとヨーロッパの6中央銀行は協調利下げに踏み切りました。その後、バーナンキ氏は、デフレ脱却の特効薬として机上で考えていた「量的緩和政策」を実行に移すことを決めます。

 

そもそも、経済を安定させるために国ができる政策は、大きく分けて「金融政策」と「財政政策」の二つです。そして、金融政策は中央銀行が、財政政策は政府が担います。

 

量的緩和とは、端的に言えば、中央銀行が市中でたくさんの金融商品を買って、市場に供給するお金の量を増やす金融政策のことです。伝統的な金融政策では「金利」を下げることで緩和していましたが、「量」を増やすというところが新しい点でした。しかし、供給されたお金が使われなくては、効果は限定されます。

 

政府主導でお金の使い道をつくること、これが財政政策(財政出動)です。道路を作ったり橋を架けたりといった大規模な公共工事、あるいは減税や給付金などがこれにあたります。リーマン・ショック後、欧米が積極的に行った経済政策とは、この二つを両輪で回すことでした。

 

「日本化」を防ぐため、バブル崩壊後の日本を反面教師に、大胆な金融政策と大規模な財政出動を行うことで、なんとかデフレを回避できたのです。

 

実は、小規模な量的緩和政策は、日本の中央銀行である日本銀行が先に導入していましたが、大規模なものはリーマン・ショック後に欧米で初めて市場に導入されました。バーナンキ氏らが研究していたように、理論としてはありましたが、そこまで大規模なものが実行に移されたことはありませんでした。

 

欧米は未曾有の危機に対して、まったく新しいやり方で挑んだのです。結果、経済は無事に復活し、むしろ成長を加速させています。アメリカに続き量的緩和を行った他国でも、続々とデフレ回避に成功していきました。景気が良くなれば、税収が増え、財政出動で使ったお金も回収できます。

 

こうして現在では、この「量的金融緩和政策+大規模財政出動」が、デフレ対策の定石となっています。

 

ちなみにこのとき、日本はこれに加わらず、慎重な姿勢を崩さなかったため、異常な円高・株安を招きました。それによって引き起こされたのが、多くの生産拠点の海外移転とそれに伴う地方経済の破壊、いわゆる「産業空洞化」です。これはバブル崩壊で傷んでいた地方経済を完全に疲弊させました。完全な失策です。

 

次ページ日本が「長期間デフレを放置」したワケ

※本連載は、永濱利廣氏による著書『日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか』(講談社現代新書)より一部を抜粋・再編集したものです。

日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか

日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか

永濱 利廣

講談社

どうして日本の国力は30年以上も低下し続けているのか? 低所得・低物価・低金利・低成長の「4低」=「日本病」に喘ぐニッポンを、気鋭のエコノミストが分析!

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