近代的な軍隊には、どのような特徴があるのか?
フランス皇帝ナポレオンの「国民」軍の強さは、よく知られています。「近代国家の三要素」の一つである国民は、全員の平等が法により保障され、自分自身と国家を同一視する存在です。近代的な徴兵制は、特定身分による軍事力独占の否定と、ナショナリズムに基づく国民の統合を前提に成立しました。
政府は列強の東アジア進出に対抗するため、こうした近代的な軍事制度を整備しました。大村益次郎(長州)の立案を山県有朋(長州)が継承して徴兵告諭(1872)を発布し(兵役を「血税」と表現)、翌年に徴兵令を公布して国民皆兵の原則を掲げました。
しかし、戸主などには兵役を免除する免役規定があり、負担が増えた農民が中心となり徴兵反対の血税一揆を起こしました。
身分制改革
近代的な身分制度と戸籍制度は、どのように形成されたのか?
「国民」の形成には、家ごとに職が世襲的に決まる近世的身分制度の解体が必要でした。そこで、政府は公家・大名を華族、武士を士族、百姓・町人を平民としたうえで、平民に字を許可し、華族・士族と平民との結婚の自由や職業選択の自由を認めました(四民平等)。
一方、えた・非人を平民と同様に扱う身分解放令が発されたものの、社会的な差別は続き、のちの大正時代の被差別部落解放運動につながります。
そして、古代律令制以来の全国的戸籍として壬申戸籍(1872)が作成されました。国民が国家に把握されると、統一的な徴兵・徴税も可能となりました。
近世以来の士族の特権は、どのように失われたのか?
政府は華族(旧大名)・士族(旧武士)に対し、江戸時代の俸禄(御恩として与えられた米)に代わる家禄を含めた秩禄(ちつろく)を支給しました。廃藩置県後も、彼らの収入は一応保障されたのです。しかし、徴兵制により、軍事力を保持していた華士族の役割は薄れます。
そこで、財政負担となった秩禄の支給をやめ(秩禄処分1876)、代わりに金禄公債証書を与えました。士族が受け取った公債の額は少なく、不慣れな「士族の商法」に手を出して失敗する者もあり、士族授産(北海道開拓の屯田兵など)も不十分でした。また、同年の廃刀令で帯刀が禁止され、江戸時代以来の武士の特権はすべて失われました。
山中 裕典
河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校
講師
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