研究者・技術者を疲弊させる特許調査業務
1980年代から知財業務が高度化するなかで、研究者・技術者の大きな比重を占める業務となったのが特許調査です。特許調査は目的によりアプローチが異なり、細かく分類すると「技術動向調査」「先行技術調査」「侵害防止調査」「無効資料調査」の4つがあります。
技術動向調査は、研究・開発の開始や途中の段階で研究テーマに関係する公知技術がないか調べる調査です。技術収集調査とも呼ばれ、これにより他社との研究の重複を避けることができます。
先行技術調査は、出願を予定している発明が他人によってすでに出願されていないかを調べる調査です。出願前調査とも呼ばれ、この段階の調査で出願予定の発明が記載された特許公報が発見された場合は、その発明は特許を出願したとしても権利化できる見込みがないと判断でき、無駄な出願を防止することができます。
侵害防止調査では、研究・開発の結果として製造・販売する商品について、第三者の特許権を侵害していないか調べます。設計段階から製造前段階に掛けて行い、他社の特許権を侵害していることが判明した場合、その後の裁判などを避けるため、権利を侵害する行為を避けるものです。
無効資料調査では発明品を製造・販売する際に障害となる他社の特許権を無効にできる証拠資料があるかどうかを調べます。これは公知例調査とも呼ばれます。この調査を行って証拠資料が見つかった場合には、障害となり得る特許権を無効にすることもできます。
これら4種の特許調査は、一般的には企業の知的財産部門が主導して推進します。知的財産部門が有する検索ツールによって出力された調査対象特許について、研究・開発部門が内容を読み込み、リストにチェックをしていくことでその内容を精査しているのです。
特許調査は研究・開発のあらゆる段階に及び、研究者・技術者は常に特許調査の作業を抱えている状況にあり、本来の業務である研究・開発業務に専念できる環境とはいえないのです。
一方で、競合となる特許を読み込むことは、研究・開発に資する行為であるため、特許調査は知見の醸成のために資する業務だと考える方もいるかと思います。しかし、特許調査での権利の確認と研究・開発のアイデアを探す調査はまったく異なります。
特許調査の権利の確認については、特許請求の範囲を主に読み込んでいく必要がありますが、研究・開発に関するアイデアを探す場合は特許の要約を主に読み込んでいく必要があるのです。そのため、多大な特許調査を研究・開発部門に担わせることは、本来は新規性を求める研究者・技術者にとって大きな重荷となっているのです。
なかには特許調査業務を好む人もいますが、研究者・技術者には特許調査業務にアレルギー反応を示し嫌がる人が多くいます。あまりにこの作業に嫌悪感を抱いているために、コミュニケーションをとったり、改善をしたりすることを嫌がって知的財産部門との意思疎通がうまくいっていない例もよく見聞きします。それほど、研究者・技術者にとって特許調査とは心が重い作業であるのです。
ノイズだらけの特許調査がモチベーションを落とす
ただでさえ後ろ向きになりがちな特許調査で、さらに研究者・技術者をうんざりさせるのは、特許調査の文献は大半が主題と関係のない、ノイズであることです。しかし、特許調査では一件一件を評価し、その内容を記入しなければなりません。
特許調査では、研究・開発テーマの重複や特許の侵害を避けるため、調査の漏れを防ぐことが第一に考えられます。そのため、一般的には検索システムで特許を抽出する際に多めの情報を選択し、目視で内容を詳細にチェックすることで漏れを防ぐ方策がとられがちです。1000件の特許文献を確認して、1~2件を除いてすべてがノイズということも珍しくはありません。
特にこのノイズは侵害防止調査で多くなる傾向があります。他社の特許権の侵害の有無を調査漏れがないように慎重に確認する必要があるため、検索の範囲が広くなりがちだからです。海外事業を行っている企業では、対象が外国特許にまで広がるため、特許業務の国際化に伴ってノイズに割かれる時間は増大する傾向にあります。
自社の研究や技術に関する特許の確認であればまだ良いものの、関連のない特許を読む時間ほど苦痛なものはありません。特許調査での膨大なノイズの存在は研究者・技術者の労力を浪費する要因となり、モチベーションを低下させているのです。
調査結果のエクセル管理が無駄を生む
一連の特許調査の工程は、多くの企業でマイクロソフトのエクセルを使って実施しています。知的財産部門が検索システムにより抽出した特許文献をエクセルに出力して研究・開発部門に送付し、研究・開発部門はエクセルのデータを基に内容を読解し、評価をエクセルに書き込んでいきます(図表1)。
エクセルは手軽で非常に汎用性の高いソフトウェアで、特許文献の管理では好んで用いられます。個々人の作業性や好みに応じたカスタマイズも可能であるため、部署や個人単位で使いやすく設定をして管理している場合もあります。しかし、その柔軟性がこれまで実施した特許調査の履歴を活用できなくなる原因にもなっているのです。
エクセルは、セルごとに自由に色を変えたり行や列を増やしたりすることができる非常に自由なソフトです。そのため、部署や個人によって評価の入力方法などが異なる事象を引き起こします。特定の緻密な管理者がいる場合は履歴がよく管理されているものの、部署異動や定年退職などで部署を去ると、ルール管理が引き継がれなくなり途端に過去の履歴がさかのぼれなくなることもよくあります。
知的財産部門は特許調査用のエクセルを研究・開発の現場に送付するものの、その結果について総合的な管理ができない状況に陥りがちです。
過去の履歴がさかのぼれないことで、過去に実施した特許調査が無駄に繰り返されることもあり、ただでさえ後ろ向きな作業である特許調査の作業量が増える事態も珍しくありません。
これらの問題は知的財産部門および研究・開発部門に所属して特許調査に携わった経験がある人なら必ず一度は経験があるはずです。皆、エクセル管理の問題点を感じながらも解決策がないために現状を変えられないのです。
これまでの慣習を変えたくない研究者・技術者たち
特許調査がエクセルで管理されているもう一つの理由として、研究者・技術者の一部がこれまでの特許調査の手法を変えることに抵抗するという現象があります。
CD-ROM公報の発行が始まり特許公開情報が紙情報から電子情報になった1993年からまだ30年と日が浅いこともあり、50代、60代の研究者・技術者にはいまだに紙媒体での業務を好む人が多くいます。なかには、配布されたエクセルをプリントアウトして出力し、手書きで記入した文書を別の社員が入力していることもあるほどです。
このような状態で、特許検索システムからの出力という「仕方がない事情」で使わざるを得ないエクセルからほかのシステムなどを使った管理に移行することなどとんでもないという考えをもつ人は研究者・技術者に多くいるのです。
研究者・技術者が特許調査業務で変化を嫌がる理由は、特許調査の多くが彼ら彼女らにとって後ろ向きの作業であること、知的財産部門が社内で十分な権限と予算を与えられていないことと関係しています。
多くの研究者・技術者は、できるならばやりたくはない特許調査業務について、これ以上煩雑にしてほしくはないと感じています。また、企業全体から見れば発言権が少ない知的財産部門から変化を持ち掛けられても、耳を貸さないこともしばしばです。
知的財産部門から特許調査業務の効率化を持ち掛けた際に丁寧に研究・開発部門をフォローしなければ、せっかく行った業務フローの変更が難しくなり、いつの間にか元に戻っているということはよく聞く話です。このように、エクセル管理よりもより良い手法を模索しようにも、研究者・技術者の大きな反対にあって立ち往生する事象は至る所で起こっています。
もっとも、この状況は研究者・技術者に限ったものではありません。未知のものや変化を受け入れたくないという心理作用は現状維持バイアスとして、よく知られる現象です。未知のものや変化を受け入れると現状の安定した状態を失うリスクがあるため、回避しようとする心理が働くのです。
しかし、企業の多くの部門でシステムを活用した業務改善が進むなか、特許調査の業務だけが非効率なエクセル管理のまま、下手をすると旧態依然とした紙での業務が残ったままで状況を維持してよいわけがありません。非効率な部分があると感じたら、変化によるコストを恐れず新しい手法に改善するようチャレンジしなければならないのです。
古川 智昭
アイ・ピー・ファイン株式会社 代表取締役
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