活況の不動産マーケット。一方で、人口減少により、勝ち・負けがはっきりしてくるといわれています。今後「勝てる街」とは? 人口などのデータをもとに考えていきます。今回焦点を当てるのは「晴海」。

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    投資家からも大人気の「晴海」

    あまりの人気で転売が相次ぎ、販売方法の見直しでも注目を集めている「晴海フラッグ」。話題になったのは、シンボルとなる2棟目のタワーマンションで、申し込み制限がなかったことで、資金力のある投資家や法人が買い占めるという事態が起きたことによるもの。結局は「1人2部屋までとする」という戸数制限がされることになりました。

     

    晴海フラッグについては、これまで販売された17棟が周辺相場より割安で販売。そのため転売目的の“プロ”が参入し、最高倍率が266倍にもなるという異常事態に。今回の販売制限で転売はなくなるのかといえば、なかなか難しいというのが専門家の見方です。

     

    晴海フラッグは、もともと、東京五輪で選手村として使われていたことは周知の事実ですが、そもそも晴海はどのような街なのでしょうか。

     

    東京都中央区にある晴海。明治時代から昭和初期にかけて埋め立てられた土地で、元々はお隣の月島の名前がついた「月島4号地」と呼ばれていました。晴海という名前が付いたのは、戦前の1937年のこと。そして「紀元2600年記念日本万博博覧会」のメイン会場として整備されますが、戦争により中止に。この万博が行われていたら、いまとは違う街になっていたかもしれません。

     

    戦後、現・都市再生機構により15棟の団地が造られたものの、外国貿易埠頭として整備された晴海埠頭に代表されるように「人が住む街」というよりも「港湾機能の集積地」というイメージのほうが強く、空き地も目立つ地域でした。

     

    そのイメージに変化が現れたのが2000年。都営地下鉄大江戸線「勝どき」駅と「月島」駅の誕生で、陸の孤島だった晴海に“最寄り”と呼べる駅が誕生。アクセスが格段と良くなりました。そして2001年には、晴海1丁目の晴海団地などの再開発により誕生した、職・遊・住が揃う複合施設「晴海アイランドトリトンスクエア」が竣工。ウォーターフロントの再開発の先駆け的な存在として大きな話題になりました。そして東京五輪の選手村が造られることが決まり、東京の中でも注目の街として今日に至るのです。

     

    前述のとおり、都営大江戸線の駅があるとはいえ、晴海は交通アクセスが良好な場所かといえば、そうとはいえません。晴海フラッグから最寄りの「勝どき」駅までは徒歩で20分。都心に向かう交通手段はバスのみという状況ですが、通勤時間の混雑ぶりがニュースになるほど。

     

    そこで期待されるのが、BRT。バスを基盤とした大量輸送システムで、環状2号線地上部道路開通により、2020年10月からプレ運行を開始。コロナ禍で計画は後ろ倒しになっているものの、新橋や虎ノ門と直接結ばれるほか、銀座や「東京」駅への路線も検討中だとか。街の利便性が劇的に向上するだけに、今後の進展が望まれます。

     

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