デモ行進での“覚醒”
ドラッカーがギムナジウムに入学して14歳になろうとするときに、デモ行進の名誉ある旗手を託されます。5年前に共和制が宣言されたことを毎年祝う恒例のデモ行進です。
少年ドラッカーは、皆の注目の的となる旗手を託されてうれしくて舞い上がったと言います。革命の歌を歌いながらのデモ行進が始まり、デモへの参加者がどんどん増え、やがて大群となりました。ドラッカーの胸は高鳴りました。
旗を持ちながらさっそうと先頭を歩くドラッカーの後ろを大勢の群れが続きます。ギムナジウム前から始まったデモ行進が市役所前広場に差しかかったとき、後ろからの圧力に押されたドラッカーは、昨夜の雨でできた水たまりの中を歩かされてしまいます。
その瞬間、ドラッカーは説明し難い違和感を覚えました。そして、後ろにいた女子医大生に旗を託してデモ行進から離脱し自宅に戻ったのです。
あまりに早い帰宅を心配した母親は「具合でも悪いの」と尋ねました。その母の声掛けに、ドラッカーは「最高の気分だよ。僕のいるところではないってことがわかったんだから」と答えました。
ドラッカーは、自分の立ち位置を傍観者と捉え、社会生態学者を名乗りました。
自分は傍観者だと気づき覚醒した瞬間がデモ行進の離脱でした。
ドラッカーはこのデモ行進での体験から、自身のあり方についての思索を深めていきます。そして、常に物事を俯瞰しながら観察する傍観者としての生き方を選択していきます。その思索はさらに深まり、やがて社会生態学者としての自覚にたどり着きます。
デモ行進の体験は、自己目標管理のアイデアを生み出す上でも重要だったといえます。つまり、自ら歩む進路を自ら選択できないという不自由さが、いかに耐え難いものか。これをドラッカーはデモ行進での違和感を通じて知ったのでした。
恐らくは、自己目標管理の本質となる自己管理の価値の重さを、ドラッカーはこの時点で心の痛みとともに気づいていたと思います。