4―「地域の実情」を巡る自治体の現実
1|制度改正疲れ、分権疲れの状況
しかし、自治体の現実を見ると、国の期待に沿っているとは必ずしも言えません。筆者は前々職の記者時代から自治体行政に接する機会があり、3年前から介護に関する市町村の人材育成プロジェクトにも関わらせてもらっています*11が、自治体の状況を気の毒に感じています。
具体的には、少なくなる一方の人員と財政難、そんな中でも制度改正や権限移譲が相次ぐ中で、「制度改正疲れ」「分権疲れ」のような状況になっています。誤解を恐れずに言えば、2~3年の頻度で見直される制度改正への対応に振り回されている感があります。
一方、厚生労働省の頻繁な制度改正も一定の合理性を有しています。厳しい財政状況や高齢化の進展などを考えると、全国レベルでの制度改正を通じたテコ入れは必要です。さらに、財務省や経済財政諮問会議、規制改革推進会議などから「制度見直しが必要」と指摘されると、厚生労働省としては、制度改正に取り組まざるを得ない面もあります。つまり、それぞれが「良かれ」と思った行動が現場の自治体を疲弊させている面があります。
*11:藤田医科大、愛知県豊明市を中心とした人材育成プログラム(老人保健事業推進費等補助金)。2022年度は医療経済研究機構が事務局となり、政策形成支援にシフトした内容となった。
https://www.ihep.jp/agile_program/
http://www.fujita-hu.ac.jp/~chuukaku/kyouikushien/kyouikushien-96009/index.html
2|制度頭、事業頭、好事例病の悪弊
こうした「合成の誤謬」と言える状況の下、多くの自治体は「地域の実情」を踏まえず、通知やガイドラインに沿って、事業を実施しています。つまり、「地域の実情」から発想するのではなく、言わば形式から入ってしまうわけです。これを筆者は皮肉を込めて、「事業頭」「制度頭」と呼んでいます。
たとえば、先に挙げたプログラムでは冒頭、こんなやりとりが筆者を含めた講師陣と、プログラムに参加している市町村職員の間で交わされます(「あるある」の事例を再構成しています)。
市町村職員:ウチの地域には、高齢者が気軽に体操などを楽しめる「通いの場」に来る高齢者が少ないんです。だから「通いの場」を増やし、高齢者に来てもらうことが課題です。
筆者を含む講師:「通いの場」が増えると、高齢者の暮らしは何が変わるんでしたっけ。
市町村職員:エーッと(絶句)……。ウチの地域は要介護認定率が高いので。。。
講師:要介護認定率が高いと、介護保険料が高くなるので、何とか下げたいという判断は理解できます。でも、通いの場に来ていない高齢者は普段、何をしているんでしょうか。あるいは「通いの場」が開かれていない日に、高齢者はどうやって暮らしているんでしょうか。
市町村職員:エッ……。
つまり、「通いの場の参加者を増やす」「通いの場を増やす」といった事業や制度から物を発想しており、「通いの場に来ていない高齢者の生活」「通いの場が開かれない日の高齢者の生活」など「地域の実情」を想像できていないわけです。ここでは通いの場を挙げましたが、同じような話は高齢者の虚弱防止(フレイル)や介護予防、生活支援、移動支援などでも見聞きします。確かに最後は施策に落とし込む必要がある以上、事業や制度をベースとした発想を全否定しませんが、「地域の実情」を踏まえなければ、住民のニーズに沿った施策は難しくなります。
さらに、国の資料や講演などで見聞きした事例を真似るという悪弊も見受けられます。このように「地域の実情」を踏まえず、好事例に飛び付く現象について、筆者は皮肉を込めて「好事例病」と呼んでいます。
確かに好事例から学ぶことは重要ですし、「地域の実情」を既に把握している自治体とか、地域の課題を十分に検討しているケース、既に「地域の実情」を踏まえた打ち手を検討する段階などの場合、事例を通じた学びは有効なのですが、それぞれの事例には地域ごとに背景や経緯、事情が異なるため、表面だけ真似ても上手く行くはずがありません。
ここでは、多職種連携などを促す「地域ケア会議」を一例に挙げます。これは2015年度制度改正を通じて、市町村に設置が求められた仕組みであり、その役割として、(1)個別課題の解決、(2)支援ネットワークの構築、(3)地域課題の発見、(4)地域づくり資源開発、(5)政策形成――の5つが期待されています。厚生労働省の資料では、愛知県豊明市や奈良県生駒市などが好事例として紹介されています。
しかし、地域ケア会議の目的や運用は自治体ごとに異なります。分かりやすいケースで説明すると、軽度者の事例をベースに多職種が知恵を出し合う会議とか、重度な認知症の人に代表されるような困難事例について関係者が情報共有を図る会議が考えられます。つまり、外見だけ見れば、専門職が鳩首協議している点で同じに見えるかもしれませんが、それぞれの自治体で目的や経緯が違うし、やり方も異なるわけです。
それにもかかわらず、会議の形態だけ真似ても、上手く行くはずがありません。確かに最初は専門職が参加するかもしれませんが、その必要性を理解できなければ、いずれ足を運ばなくなるか、アリバイ的に顔を出す程度にとどまってしまいます。アメリカの経営学者、ドラッカーは「方向づけのない会議は迷惑なだけにとどまらない。危険である」と喝破している*12のですが、専門職にとって、目的が不明確な会議は「迷惑」であり、市町村と専門職の信頼関係が損なわれれるかもしれない点では、「危険」な存在になり得ます。
このように書くと、「少し辛辣過ぎるのでは」と思われるかもしれませんが、下記の表で示した厚生労働省の委託調査*13によると、筆者の指摘は誇張ではないことをご理解頂けると思います。具体的には、表の赤線で囲った部分で見られる通り、市町村は「地域課題の抽出・整理」「内容の振り返り」に取り組めていません。
しかも、表は自治体の「自己評価」ですし、実態はもっと酷いのかもしれません。実際、この数字は人材育成プログラムを通じた筆者の心象と符合していますし、地域ケア会議の開催が目的化した「事業頭」「制度頭」か、資料や講演などで紹介される好事例を表面だけ模倣した「好事例病」が影響している可能性が考えられます。
このように考えると、事例を表面だけ学んでも大した成果は得られないし、政府の資料で見掛ける「好事例の横展開」は「好事例病」を悪化させる危険性があります。やはり「地域の実情」を踏まえる必要があります。
*12:Peter F.Drucker(1966)“The Effective Executive”〔上田惇生訳(2006)『経営者の条件』ダイヤモンド社p69〕。
*13:日本総合研究所(2020)「地域ケア会議に関する総合的なあり方検討のための調査研究事業報告書」(老人保健事業推進費等補助金)。
3|インセンティブで解決するのか?
これらの実情を指摘すると、「インセンティブを付与すればいいのでは」という意見も頂く機会は少なくありません。確かに経済学的な視点に立つと、人の行動を変えるのは経済的なインセンティブによる誘導か、罰則による義務付けになるので、こうした議論が出るのは一定程度、理解できます(それでも行動経済学では、肘打ちのように働き掛ける「ナッジ」も重視されているのですが)。
実際、既に触れた地域医療介護総合確保基金による財政支援に加えて、インセンティブ交付金*14と総称される予算制度を通じて、市町村の取り組みに応じて、国からの交付額を増減させる仕組みも整備されています。
一方、過度なインセンティブは「事業頭」「制度頭」「好事例病」を引き起こす危険性があります。たとえば、インセンティブ交付金では、数多くの採点指標が示されており、通いの場に関しては、高齢者の参加率などに応じて、交付金の規模が増減する仕掛けになっています。これが既述した「通いの場を増やす」とか、「通いの場に来てもらう高齢者を増やす」という「事業頭」「制度頭」を作り出している面があります。
もう一つ、例を挙げると、認知症施策の検討に際して、認知症の人や家族の意見を聞くと、交付金の増額要因になる仕掛けが採用されています。つまり、自治体が認知症施策などを検討する際、認知症の人の意見を聞くように仕向けるインセンティブになっています。このこと自体、非常に重要な対応と思いますし、和歌山県御坊市や東京都世田谷区、千葉県浦安市などの自治体は認知症の人の意見を丁寧に聴取しつつ、認知症ケア・施策の条例を制定しました*15。
ただ、自治体が「何のために認知症の人の意見を聞くのか」という点を意識しなければ、認知症の人に対するヒアリングを1回実施するだけで終わるかもしれません。つまり、測定指標だけクリアすればいいという一種の思考停止に陥る危険性です。
過剰な業績評価を戒める書籍では、測定基準という手段が組織の目的にすり替わるリスクに警鐘を鳴らしている*16のですが、経済インセンティブを付けても、「国の評価基準に沿って判断する」という自治体職員の「事業頭」「制度頭」とか、「国の資料で紹介されている事例を真似ればいい」という「好事例病」を招く危険性が考えられます。
*14:正式名称は保険者機能強化推進交付金、保険者努力支援制度。国費ベースで2023年度は350億円。
*15:認知症ケア・施策に関する条例については、2022年12月までに計20自治体が制定している。2020年までに制定された条例の動向に関しては、2021年4月28日「自治体の認知症条例に何を期待できるか」を参照。日本医療政策機構(2021)「「住民主体の認知症政策を実現する認知症条例へ向けて」も参照。
*16:Jerry Z.Muller(2018)“The Tyranny of Metrics”[松本裕訳(2019)『測りすぎ』みすず書房p172]を参照。
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