3―異次元緩和のまとめと意義
以上の話をまとめると次の通りとなる。
・これまで10年に及んだ異次元緩和の期間中に、金融緩和効果もあって日本の経済・物価情勢は確かに改善したほか、過度の円高が是正され、株価も上昇した。
・ただし、経済の改善や円高是正・株高については、米国経済の回復という外部要因の影響をかなり受けた「追い風参考記録」であり、異次元緩和の功績としては割り引いて捉える必要がある。
・企業による設備投資は、その原資が大きく増加した割に伸びが低く、企業の日本経済に対する期待の低さを異次元緩和によっても変えられなかったことが背景にあると考えられる。
・設備投資の伸び悩みもあって賃上げの原資となる企業の付加価値があまり伸びなかったうえ、企業の日本経済に対する期待の低さが影響し、労働分配率が下がったことで賃金上昇率も伸び悩んだ。「物価・賃金は上がらないもの」とするノルムが影響した可能性も高い。
・雇用の改善には金融緩和と殆ど無関係な人口動態の変化や社会構造の変化が大きく影響していたとみられる
・物価上昇率は昨年以降、日銀の物価目標である2%を超えて推移しているが、日銀が理想とする経済の好循環・賃上げを伴った形ではなく、既往の資源高と急速な円安に伴うコストプッシュ型の色彩が強い。
・一方で、副作用については、銀行収益の圧迫、債券市場の機能度低下、財政規律の緩み、実質賃金の押し下げ、生産性向上の停滞、日銀の財務リスク増大など幅広い領域で発生しているとみられる。
つまり、異次元緩和の効果についてはもちろん全面的に否定されるものではないが、限定的で物価目標の達成もかなわなかった一方、物価目標に拘って硬直的な政策運営を続けた結果、副作用は着実に高まってきたと考えられる。
実際、日銀は異次元緩和を導入後、物価目標の未達を受けて段階的に緩和を強化していったが、次第に長期化する金融緩和によって増大する副作用への対応が必要になり、2016年9月のYCC導入以降は緩和の強化よりも副作用を抑制しながら緩和状態を維持することに腐心することになった。特に、債券市場への悪影響を緩和すべく、長期金利の操作目標(上限)を当初の0.1%程度から0.2%程度(2018年7月)、0.25%程度(2021年3月)、0.5%程度(2022年12月)へと幾度も引き上げてきたことは、副作用に苦慮してきた日銀の状況を如実に映し出している。
足元では、春闘における大企業の賃上げ拡大など、物価目標達成に向けた前向きな動きも出てきてはいる。しかしながら、既述の通り、物価上昇率が2%で安定的・持続的に推移するためには、少なくとも定期昇給除きで2%の賃金上昇が継続する必要があり、ハードルが高い点は変わりない。債券市場の機能度が芳しくないことから、今後もYCCの修正などは想定されるが、異次元緩和の出口(終了)は未だ見通せない状況にある14。
振り返ってみると、10年余り前、白川総裁時代の終盤には日本の経済情勢が芳しくない主因として円高とデフレ(この言葉には単に物価の持続的な下落という意味だけでなく、景気低迷という意味合いも含まれていた)が挙げられ、その最大の原因は金融緩和を出し渋る日銀にあるとの論調が広がっていた。そうした社会的背景のもと、「デフレ脱却」を旗印に誕生した安倍政権が物価目標を掲げ、その達成を託された黒田総裁が異次元緩和に踏み切った。
しかし、その結果はこれまで見てきた通り、効果は限定的で物価目標は達成できていない。景気・物価の方向性としては改善したものの、特に賃金上昇を促すことが十分できず、経済の好循環を廻せなかった。一方で、物価目標の達成と金融政策を強力に結びつけたがために硬直的な金融緩和が続き、副作用が顕在化し、円滑な出口を迎えるハードルも高まってしまった。
つまり、異次元緩和は、大規模な金融緩和によって経済の好循環を起こし、物価目標を安定的・持続的に達成するという壮大な社会実験であったわけだが、結果的に難しいことが実証された形になった。その対価は10年もの時間の経過と蓄積・顕在化した副作用だ。結果的に、4月に発足する植田総裁率いる日銀新体制は異次元緩和の副作用に有効に対処しつつ、異次元緩和を円滑な出口に導くという難しい宿題を課せられた形になっている。
一方、異次元緩和の経験から得られたものもある。一つは「教訓」だ。この10年間、日本は世界的に見ても、歴史的に見ても極めて大規模な緩和を経験した。この間にうまく行ったこと、行かなかったことは今後の金融政策運営に生かすことが出来る貴重な知見になる。今後、日銀自身が改めてきちんとした形で総括し、受け継いでいくことが望まれる。
そして、もう一つ得られたものは「賃上げの重要性が改めて認識されたこと」だ。異次元緩和を続けたとしても、結局のところ、賃金が十分上がらないと経済の好循環や物価目標の安定的な達成はままならないことが改めて明らかになった。当然、国民の暮らし向きも良くならない。特に昨年は物価上昇が加速し、実質賃金が押し下げられるなかで、如何にして持続的な賃金上昇をもたらすかが幅広く議論され、その財源を確保するための生産性向上の重要性にも焦点が当たった。
日本経済の最大の課題が賃上げであるとの共有化は進んだ。今後は、政府、日銀、企業、労働者が協力し、持続的かつ十分な賃上げができる経済の実現に向けて取り組みを加速することを期待したい。
十分な賃上げのもとで経済の好循環が廻って日本経済の成長力が底上げされれば、いずれ避けて通れない異次元緩和の出口局面における経済の耐久力も高まり、軟着陸できる可能性が高まるだろう。
*14:日銀新体制における金融政策についての直近の見通しは、拙稿『日銀による「YCC修正の選択肢」とそれぞれの「長所・短所」』(Weeklyエコノミスト・レター2023-03-03)の8頁をご参照ください。
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