映画『マトリクス』『トゥルーマン・ショー』が90年代に既に“現在の私たち”に突き付けていた「恐るべき問い」とは

映画『マトリクス』『トゥルーマン・ショー』が90年代に既に“現在の私たち”に突き付けていた「恐るべき問い」とは
(※写真はイメージです/PIXTA)

ITの急速な発展と普及により、私たちの生活は格段に便利になりました。一方、以前はなかった様々な問題が噴出しています。興味深いことに、1990年代のアメリカ映画には、あたかも今日の状況を既に予見していたかのような作品がみられます。NHKエンタープライズ エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏が著書「アメリカ 流転の1950ー2010s 映画から読む超大国の欲望」(祥伝社)より解説します。

作られた「現実」のなかに埋没する危険性

しかし、作家カート・アンダーセン(「ニューヨーク・マガジン」元編集長)は、誰かによって作られた「現実」の中に埋没しているのは、トゥルーマンばかりではないと警告する。

 

「『トゥルーマン・ショー』は、私の言葉で言えば、『幻想・産業複合体3』による陰謀によって作り上げられた『現実』の中で生きている人の物語です。

※3「幻想・産業複合体」 カート・アンダーセンによる造語。幻想(ファンタジー)と産業(商売)が密接に結びつき、アメリカ社会を動かしていく主体となっていることを指す。例えば、ハリウッドやディズニーランドなど。

 

この映画がヒットしたということは、その時点で私たちがこうした世界を受け入れる素地ができていたということなのです」

 

一人の人間の私生活が途切れることなく世界に配信される恐怖を、主演のジム・キャリーはこう語った。

 

「この映画のすごいところは、二つの対照的なものが見事にミックスされている点。一つはトゥルーマン自身。みんなが持ちたいと思っている良き価値観そのもの。もう一つは、トゥルーマンの存在をみんなが無自覚に娯楽として楽しんでいるというリアルな怖さ」(「スクリーン」1998年12月号)

 

「この映画で描かれているようなことが現実に起こりうるかと聞かれれば〝あり得ることだ〞と僕ははっきり言うだろうね。今、現実に起きている。はっきりと自覚できる形でなくても、確かに類似したことはあるし」(「キネマ旬報」1998年11月下旬号)

 

1990年代とは何だったのか―文化は分断された

テクノロジーの進歩と共に、人々のプライバシーは監視され、晒され始めていく。

 

『トゥルーマン・ショー』が公開された年、前代未聞の不倫スキャンダルが持ち上がる。

 

クリントン大統領がインターンだったモニカ・ルインスキーと性的関係を持っていたというのだ。大統領はテレビ演説で「私はあの女性と性的関係は持っていません。ルインスキーさんと」と主張した。

 

全てをショーとして消費し、現実を虚構という商品に変える。90年代、大衆の好奇の目はいつの間にかいびつに歪んでいった。

 

『トゥルーマン・ショー』の最後で、主人公はスタジオから脱出する。これまで彼の人生を、娯楽として消費し続けてきた視聴者は歓喜する。錯覚のような日常。しかし、膨張を続ける歪んだ欲望が噴出する時、現実は容赦ない。

 

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アメリカ 流転の1950ー2010s 映画から読む超大国の欲望

アメリカ 流転の1950ー2010s 映画から読む超大国の欲望

丸山 俊一

祥伝社

欲望の正体を求めて。想像力の旅が始まる。 NHK「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」アメリカ編を 完全書籍化 番組では放送されなかったインタビューも収録 理想、喪失、そして分断 アメリカはどこへ行こうとしているの…

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