改革開放を起点にめざましい発展を遂げた中国
さらに人民公社に代わって地方の行政単位となった「郷(ごう)・鎮(ちん)」では民間企業(郷鎮企業)の設立が呼びかけられました。
1980年代を通して中国は改革開放政策を進めましたが、官僚の腐敗などへの不満が徐々に高まることとなり、1989年には多数の人々が北京の天安門広場に集まって民主化を求める事件(天安門事件)が発生するに至りました。
1992年、鄧小平は中国南部を視察しながら市場経済を利用して経済発展を目指す政策を打ち出し(南巡講話)、これを受けて中国共産党は「社会主義市場経済」の導入を決めることとなりました。
1980年代から2010年代後半までの中国のGDP成長率は平均して10%程度と、改革開放を起点に中国はめざましい発展を遂げたと言えます。
【Nobby‘s point】中国の貿易政策
中国政府は沿岸部の経済特区を中心に輸出を主目的とした工業化を進める政策を進めました。内陸地域の余剰人口を工業発展が盛んな沿岸部に移動させることを目指したのです。
さらに、日本やNIES(シンガポール、香港、台湾、韓国、メキシコなどの新興経済諸国の総称)からの投資を呼び込み、輸出によって獲得した外貨を設備投資や技術導入に使うという循環を生み出しました。
こうした政策は、安くて豊富な労働力を特定の分野に集中して注ぎ込む「労働集約型」の工業が発展する結果に繋がり、中国全体の経済状況を底上げすることとなりました。
中国の経済の強みとは
中国の強みは、“安くて豊富な労働力”。世界中から投資が集まり、中国で安くて安定したモノづくりが行われたことで「世界の工場」と呼ばれるようになりました。
日本やアメリカなどの先進国企業が中国に生産拠点を相次いで移したことで、中国に外貨と技術がもたらされ、その後の中国の発展を決定づけることとなったのです。
先進国からさまざまな技術が集まった結果、それまでは汎用製品が生産の中心であったところから、半導体などの高度かつ高利益率な製品が生産できるようになり、先進国と互角に渡り合える工業国に発展したのです。