(※写真はイメージです/PIXTA)

大阪中之島デンタルクリニック院長・山本彰美氏が解説します。

治療を少しずつでしか進められない、「保険診療の壁」

歯科医院に行くと、患者は一度に複数の歯を治療してほしいと思っていても、今日はここまでにしましょうと区切られてしまうことがよくあります。1本の歯を治療するにも、前回は削るだけ、今回は消毒だけ、などと少しずつしか進まないこともしばしばあります。歯の状態によっては1回数分で終わってしまうような歯根の消毒を、何回も通院して繰り返さなければならないこともあります。そうなると「せっかく来たのに、えっ? もう終わり?」と、拍子抜けしてしまうものです。

 

なにかと忙しい現代人にとって、歯科治療は時間も手間もかかって面倒なイメージをもたれがちです。歯科恐怖症*でなくても、そんなふうに思っている人は多いと思います(歯科治療を極度に恐れ、さまざまな拒絶反応があらわれてしまう状態。国内では500万人前後が歯科恐怖症で歯科受診を避けていると推測されている)。

 

歯科医師側にも、そんな患者心理は十分伝わっています。そして症例によっては内心、今日のうちにもう少し治療を進めておきたいとか、これだったら一度にすませられるのでは、と思うこともあるのです。

 

しかし歯科医師が自己判断でできることには限りがあります。なぜなら「保険診療の壁」が立ちはだかるからです。保険診療で歯科治療を行う場合、遵守しなければならない国で定められた決まり事がいくつもあります。

日本の「国民皆保険制度」の恩恵は大きいが…

日本では国民皆保険制度といってすべての国民に、公的医療保険へ加入することが義務付けられています。公的医療保険には、職業や年齢によっていくつかの種類がありますが、いずれも加入者が保険料を支払うことで、医療が必要になったときに費用負担を軽減する仕組みで成り立っています。

 

保険料を支払っていれば病気になったときに本来かかる費用のうち1~3割の負担(年齢などによって割合が変わります)で医療が受けられたり、ひと月にかかった医療費が所定の額を超えた場合は申告により超過分が戻ってきたり、出産育児に対し一時金が支給されたりします。

 

また国民皆保険制度のもとでは、保険診療であれば誰もが全国のどの医療機関でも同じ医療を受けられることになっています。さらにフリーアクセスといって、自分の意思で受診する病院を選ぶこともできます。

 

日本にいるとこれらは当たり前のように思われがちですが、世界には国民皆保険制度が導入されていない国も数多く存在します。かかった費用全額、治療を受けた本人が支払う場合、それができなければ医療が受けられない国もありますし、決められた医療機関でしか診察してもらえない国も多いのです。

 

日本のように医療体制が整っている国は世界でも珍しく、高い健康水準を維持しているのは国民皆保険制度があるからだと評価されています。このように、国民皆保険制度によって私たちが受けている恩恵は決して小さいものでないことは確かです。

むし歯1本の治療さえ、進め方が細かく決められている

しかし、課題もあります。

 

日本の医療費は年間約40兆円ともいわれており、莫大な金額です。そのお金はどこから出ているかといえば、約4割は国や地方自治体が税金をもとに支出する公費によって賄われています。

 

その財源には当然のことながら限りがあります。そして近年の日本はかつてのバブル景気だった頃と違い、経済的に安定しているとはいえず、財源を支える税収も減ってきています。

 

一方、社会の高齢化により医療を必要とする人が増えていることなどを背景に、医療費は増加の一途をたどっています。

 

したがって保険診療は限られた医療資源を効率良く最大限に活用しなければ、安定した運用ができないばかりか破綻の危機にさらされてしまいかねないのが、今の日本の保険制度の実状です。

 

また、国民皆保険制度は皆が同じ医療を受けられることを目的としていますから、公平性も保たなければなりません。

 

そのため保険で受けられる治療内容は医科、歯科ともに国で厳しく審査されています。いくつもの試験を経て安全性や有効性が確認され、この治療なら多くの人が大きな問題もなく治ると国が認めた治療だけが保険診療で行えるのです。

 

ここには治療の安全性や有効性だけでなく、財源で賄えるかや、どの医療機関でも行えるか、などの視点も入ってきます。良い治療法でもあまりに高額だったり、特別な設備が必要だったり、一部の医師しかできないような高度な技術を要したりといった治療は、患者にとって不公平となり、誰でもどこでも同じ治療が受けられるとする国民皆保険制度の原則に反するので見送られてしまいます。

 

そして保険診療で認められた治療内容は必ず守られなければなりません。医師は決められたルールの範囲内で、治療をしなければならないということです。

 

歯科でいえば詰め物や被せものなどの材料や治療に使われる薬はもちろん、むし歯1本治すためにいつどんな治療をするかの手順も細かく決められているのです。

 

歯周病治療にしても、この手順でやっていけばほとんどの人は改善に向かい、きれいな口を保つことができるだろう、という考えで、手順とか、検査、治療、それがだめならこの治療、という細かい手順や厳しいルールが決められています。

 

「せっかく来たんだから、悪いところはまとめて治してほしい」と思っても、保険診療では一度に行える治療内容が決められているので、歯科医師は応じることができないのです。

 

もっとも、治療自体は短時間でも、ある程度時間をおいて経過が良好かを確認してから次の治療ステップへ行くほうが、確かに安全性が高い治療もありますので、保険診療で定められた治療がおしなべて非効率である、と言いたいわけではありません。経過次第で次の治療内容を変えることもあり得ます。歯科医師が見込んでいたほど治りが良くなければ、予定していた治療や薬を見直して、より効果的なものに変えていくのは当然の措置といえるでしょう。

 

ただ私が歯科医師として独立した頃は、「この人だったらこの治療法のほうが良い」と思っても、それが保険診療で行えない内容のために、諦めざるを得なかったケースが少なくありませんでした。

 

特殊な治療は公的保険では認められないのです。国の言い分としては「むやみやたらに、治るか治らないか分からない治療を国が保障するわけにはいかない」ということでしょうが、患者の状態にきめ細かく合わせた治療を行おうとすると、この考え方は時に足かせとなってしまうのです。

歯科恐怖症などの「一気に治療したい患者」には酷な話

歯科恐怖症がその例といえます。歯科恐怖症のような特殊な事情を抱えている人は、保険診療を行ううえでの決まり事を遵守した治療がとても難しく、まず不可能です。恐怖症の人は痛みもほかの人に比べ強く感じやすかったり、嘔吐反射が強かったりしますし、歯科医院に行くこと自体が苦痛な人も多いですから、回数もできるだけ少なくすませたい人が大半です。ところが今の日本の保険診療で定められた一律のルール内では、これらを満たす治療がなかなかできないのです。

 

とはいえ保険診療で特別対応がまったく認められていないわけではありません。例えば歯のクリーニングで歯石をとるとします。歯石は歯ぐきのきわにこびりついており、それをとるために鋭利な器具を使うとエナメル質に覆われていない歯の根元を刺激することがあります。エナメル質は外部の刺激から歯を守るコーティングのような役割がありますので、それがない部分に器具が当たるとしみたり、痛みが出たりしやすくなります。いわゆる知覚過敏の状態です。

 

一般的には歯石をとるときに麻酔は使いませんが、この知覚過敏で痛みを強く感じる場合、保険診療で麻酔を使ってもいいことになっています。

 

これは一例であり、ほかにも特別対応として認められている治療はありますが、しかしあくまでも特別な場合です。歯石をとるくらいなら通院は3ヵ月~半年に一度のペースですから、歯科治療全件のうち、そのケースで麻酔を用いる割合はごくわずかといっていいでしょう。

 

しかし歯科恐怖症の人は歯石をとるどころか、一事が万事、すべての治療行為が特別な場合になってしまい、通常、麻酔を使わない治療でも麻酔が必要になります。そこまでは保険診療では認められないのです。

 

歯科恐怖症の人はむし歯にしても歯周病にしても、かなり重篤な状態になっているケースがほとんどです。それを保険内で治そうとすると、何度も通院しなければなりませんし当然、期間もかかります。1回ですら、行くのに大変な勇気を要する歯科恐怖症の人が、保険診療内で治療を受け続けるのはたいへん困難であり、現実的でないとすらいえます。

 

頑張って3回だったら通院できても、20回と言われたら、その時点で断念したくなってしまうでしょうし、「今度こそは治すんだ」と意気込みをもってきたとしても、月1回の通院を1年以上続けなければならないとなると、せっかくの決意もしぼんでしまいます。

 

ゴールが遠く、かつ毎回、受診のたびに苦痛を強いられるとなると、どんなに健康のため、将来のためといっても、歯科恐怖症の当事者にとっては酷というものです。

薬剤や麻酔にも制限がある

使える薬剤にも保険診療のもとでは決まりがあります。

 

これを使うと治りが早いなど、いい薬があっても保険適用になっていないものも数多くあります。早く治すために海外では認められているいい薬を使いたくても、日本の保険制度で承認されていない以上、保険診療内では使えないのです。

 

たとえ内科や外科で認められていても、歯科で認められていなければ、使うことはできません。怪我をしたときに使える抗生物質や鎮痛薬が、海外では歯科疾患に効果的とどんなに評価されていたとしても、日本国内で保険歯科診療の適応がなければ使うことはできないのです。

 

熱心な歯科医師で、常に最新鋭の知識を得ようと学んでいる人にとっては、治療効果が高く患者にメリットが大きいと分かっていながら、日本では認可されていないために使えないことにジレンマを感じてしまうのです。

 

麻酔薬も薬品ですから、保険診療制度のもとでは国の規制の枠内で行われなければなりません。使えるケースも薬品も決められています。

 

苦痛が強い人には、普通は使わないケースでの麻酔の使用や量を増やした使用など、保険制度も例外を認めています。しかし大多数の患者はそれを適用しなくても、治療が行えることが前提となっています。例えば私のクリニックのように歯科恐怖症の患者が大勢いるようなクリニックでは、他院と比べ麻酔の使用量やイレギュラーな麻酔の使い方をするケースがたいへん多くなります。

 

医療費が膨れ上がり財源の確保が厳しい状況になっているわが国としては、できるだけ医療費を抑えたいので、医療機関から送られてくる保険請求の内容は厳しくチェックされる傾向にあります。

 

そして、保険点数(診療報酬)、いい換えれば国への医療費の請求額が高い医療機関は、「これは本当に必要だったのか」「過剰請求ではないのか」と問い合わせを受け、「こんなに高いのはおかしい」と国から指導されたり、請求が認められなかったりすることもあるのです。

 

こうなると、歯科医師は患者のためにと高度な麻酔技術の提供がしにくくなります。患者が苦痛を感じても、「がまんしてね」ということになってしまうのです。

 

私は麻酔を専門的に学び、経験を積んできましたから、誰に対しても痛みゼロの治療ができればそれは理想です。でも、それでは国の医療費に充てる財源はますます圧迫されてしまいます。

 

しかしせめて、治療を受けられないほどの歯科恐怖症の患者への麻酔や治療は、現状より保険制度上の基準緩和を検討してほしいと、常日頃考えています。

 

 

山本 彰美

大阪中之島デンタルクリニック 院長

 

※本連載は、山本彰美氏の著書『歯科恐怖症患者を救う!スゴイ無痛歯科治療』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

歯科恐怖症患者を救う!スゴイ無痛歯科治療

歯科恐怖症患者を救う!スゴイ無痛歯科治療

山本 彰美

幻冬舎メディアコンサルティング

歯医者に来ると身震いしてしまう。怖くて口を閉じてしまう…。 そんな歯科恐怖症で悩む患者を救う! 眠っている間に治療が終わり、長期通院も必要なし! 痛みと恐怖心を取り除く無痛歯科治療とは?

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