日本人が重視する組織の上下関係
■理念が浸透していない理由
しかし、こうした取り組みを行っても、さきほどお話したように、理念の浸透度はなかなか上がりません。
その理由は、4つほどあります。
(1)理念の言葉の抽象度が高く、具体的イメージがつきにくい
言葉の抽象度が高いことは先ほど述べましたが、抽象度の高い言葉を噛み砕いて説明を受けても、実はまだそれがどういうことを指すのかというイメージまでは伝わりにくいのです。
例えば先ほど出てきた「従業員一人一人を尊重」という言葉も、どういうシチュエーションでどんなふうに考えてどのような行動を取ったら従業員一人一人を尊重したこととなるのかということが伝わってきません。
(2)普段の仕事で重要視されていない
定期的に唱和を行っている会社なども、そうした場面では思い出しますが、普段仕事をしている時は、忘れています。職場では、上司の指示に従うとか、納期を間に合わせるとか、一定の製品品質を保つとか、客からクレームを受けないようにするなどのことが念頭にあり、理念の言葉は、頭から抜けています。
実は、理念に書かれている言葉は、頭に入れておいて普段仕事をする時、何かを決めたりする時に、その判断基準となるべきものなのですが、そうはなっていないのです。理念は理念、仕事は仕事と区別して割り切っていることが多いのです。
(3)社員が共感していない
理念には、創業者の言葉など大切なこと、立派なことが述べられているのですが、社員の人たちが、必ずしも共感をしているとはいえない状況があります。例えば、使われている言葉遣いが古く、「古臭い」と思われているとか、使われている言葉が一般的かつ抽象的なので、「何か当たり前のことを言われている」ように思われています。
私が日産自動車にいて、例のカードが配られた時も、「何か平凡なことが書かれているなぁ。今さらお客様第一か」と思ったものです。ただ、書かれていることが、現実には実行されていなかったのは事実なので、お客様や世の中から批判されたわけです。この認識ギャップを何とかしないといけないですね。
(4)日本人は文化的に抽象的な価値観を重視しない
もう一つ大きなことは、日本の文化では、「自由」「平等」「博愛」等の抽象的な価値観があまり重視されないということがあります。先ほど出てきた礼儀等は価値観ではあるのですが、日本で重視される価値観は、人間関係に関わるものが多いのです。上下関係を大事にするとか、ウソをつかないとか、家族を大切にする等は、みな人間関係に関連した価値観ですね。
では、日本人がそうした抽象的な価値観ではなく、何を大切にしているかというと、自分が所属する集団や組織の上下関係です。文化人類学者の中根千枝さんが「タテ社会」というキーワードで解き明かしたように、日本人は、所属する集団の長(おさ)=リーダーに従うという文化を持っています。家族であれば家長の、会社であれば社長や上司の「言うことを聞く」ということを一番大切にしています。
ですから、リーダーの意向に従うような判断、行動を取るので、何を大切にするかは、その時のリーダーの考え方次第となってしまうのです。(家族についていうと、誰が一番発言権を持っているかは、その家族によって違います。必ずしもお父さんでないことがあります。)
そして、リーダーは、自分の言うことを聞かないメンバーがいると、「俺の言うことが聞けないのか!」と言って怒ります。メンバーは、通常怒られたら謝って、あとは従うのですが、そうしないで、頑なに言うことを聞かないでいると、しまいには放り出されます。会社でいうと、上司の言うことを聞かないでいると異動させられるわけです。
そういう制裁を加えてまで自分の意向に従わせようとするのです。それはあくまでも意向であって、何か原理原則があるわけではないのです。ですから、前に言ったことと食い違っていても、それを指摘しても詮無いことで、言われたことに従わざるを得ないのです。
日産自動車時代に、上司の言うことがころころ変わって困ったので、「前に言っていたことと違うじゃないですか!」と食って掛かったら、意外なことを言われました。「君、君は、僕の大学の後輩だろ。堅いこと言わずに、言うことを聞いてくれ。」とひそひそ声で言われました。
そう言われて、私も理屈を言うのをやめて、発言を取り下げました。何か明確な基準や価値観があるわけではないのです。ただ上の人の意向に従えということなのです。
ですから、額に創業者の理念の言葉が掲げられていても、社長が右と言えば、役員以下右を向くわけです。また、課長が、そうじゃなくて左だと言えば、左を向くわけです。
これが、理念が重要視されない文化的な背景となっています。
井口 嘉則
オフィス井口 代表