甲子園は中止も、夏の東京ナンバーワンを決める大会が開催されることに
「3年生たちにはどこかのタイミングで、高校最後の試合をやらせてあげたい」
例年ですと3月中旬に練習試合が解禁となって、全国の学校と腕試しとばかりに数多くの練習試合を行なってきました。ところが、2月末に学校そのものが休校となってしまったため、練習試合をひとつも行なえていなかったのです。
自分の実力がどの程度なのかもわからないまま卒業させるなんて、酷なことはしたくなかった。それだけに、タイミングを見て東京の高校の監督さんと連絡を取り合って、練習試合を行ないたいと考えていたのです。
甲子園大会がなくなったという発表があった翌々週の6月1日、東京都高野連からこんなアナウンスがありました。
「2020年夏季東西東京都高等学校野球大会を開催する」
甲子園大会はなくなったものの、夏の東京ナンバーワンを決める独自のトーナメント大会を開催し、優勝旗も用意されるというのです。この話を選手たちに伝えたところ、卒業試合のような感覚で受け取っていたのですが、私はあえて厳しく言いました。
「3年間、一生懸命みんなを支え、陰ながら応援してくれたお父さん、お母さんたちも見に来られる大会だ。引退試合のつもりでやるんじゃなくて、真剣に3年間野球に取り組んできた姿勢をお父さん、お母さんに見せてあげるつもりでやろうじゃないか」
「甲子園出場はなくなったけれども、東京都独自の大会で優勝を目指す」
選手たちのまなざしは私をまっすぐ見ていました。一方でこの3ヵ月間、まともに練習できなかったことは、彼らの姿を見れば一目瞭然でした。ほぼ全員がボテッとした体つきになってしまっていたからです。
無理もありません。練習できる場所など限られていますし、万が一、ボールを使った練習を、選手が住んでいる近所の公園で行なっている姿をよその人に見られようものなら、下手をすると学校に苦情が来てしまうことだって考えられたご時世でした。
学校で練習している通りに満足に練習していた選手など、1人もいなかったことが想像できました。
けれどもこの日を境に、新たな目標ができました。
「甲子園出場はなくなったけれども、東京都独自の大会で優勝を目指す」
蓋を開けてみると15対0のコールド勝ち
選手一人ひとりが必死になって白球を追いかける姿を、また見ることができたとき、私は心から安堵したのを今でもよく覚えています。
実際に大会がはじまると、選手は想像以上の活躍を見せてくれました。初戦の目黒学院との試合で15対0のコールド勝ちを収めると、準々決勝まですべて完封で勝ち進んでいきました。
準決勝の東亜学園戦にも勝ち、決勝の関東一高戦では9回表まで1対2で負けていたものの、その裏の攻撃でワンアウト一塁からヒットエンドランとスクイズをどちらも初球に決め、同点に追いつきました。
その後、延長11回裏にワンアウト二塁から、5番の新垣煕博(あらがききはく)のレフトの頭を超えるサヨナラ二塁打で見事に逆転勝ちを収めたのです。甲子園の出場にはつながらなかったとはいえ、8年ぶりの東東京での優勝にベンチ内は大いに沸いていました。
想像もしないほどの窮屈な制約ばかりのなか、精いっぱいがんばってくれた当時の選手たちに私は今でも感謝しています。同時に「人はどんなにハンディキャップを背負っても、どんな環境下でも、絶対にあきらめないという熱意さえあれば力を発揮することができる」ということを、私自身が選手たちから学ばせてもらった気がしているのです。
■前田の法則
絶対にあきらめない熱意があれば、どんな逆境も跳ねのけていける
前田 三夫
帝京高等学校硬式野球部 名誉監督