高校野球の監督歴約50年のなかで初めて経験した「甲子園大会」の中止(2020年)
2020年2月に突如としてやってきた新型コロナウイルスによって、この年の夏の甲子園出場のチャンスをあきらめました。日本高等学校野球連盟(以下、日本高野連)が甲子園大会の開催を見送ったのは、過去の歴史を紐解いても1918(大正7)年の第4回大会の米騒動、41(昭和16)年から45(昭和20)年にかけての太平洋戦争以来のことでした。
大きな目標を奪われた選手たちの前で
今回、私たちが衝撃を受けたのは、「野球ができなくなる」ということでした。授業が終われば、選手全員がグラウンドに集合して練習をはじめる。当たり前だと思ってすごしていた毎日が、いとも簡単に奪われたのです。
けれども、現実に起きている状況を見れば、おいそれと練習を行なうわけにはいきませんでした。なにせ、感染すれば生死にまで影響を及ぼすような、得体の知れないウイルスです。激しい練習を行なってしまえば免疫力が下がり、選手が感染するリスクが高まります。それだけではなく、家族内で感染が広がれば、それこそ命の危険が高まってしまう。そんなリスクを背負ってまで練習することはできませんでした。
当時を振り返ってみると、帝京では2月27日に一斉休校がスタート、翌日から家庭学習期間に入り、その後は5月31日まで休校が続きました。入学式は当初の予定から4ヵ月遅れて6月1日、翌2日が始業式となったのです。これだけ見ても、いかに当時の状況が普通ではなかったかがおわかりになるかと思います。
そして選手にとっては、辛い現実が待っていました。休校中の5月20日に、第102回全国高校野球選手権大会の開催中止が発表されたのです。東京六大学野球の中止も発表されたことで、私は内心「今年の夏の甲子園大会の開催は厳しいだろうな」と予測はしていましたが、いざ現実を目の当たりにすると、選手たちと同じようにショックを受けていました。
とくに3年生の心中を察すると、私も苦しい思いでいっぱいでした。厳しい練習を乗り越えてこられたのも、すべては甲子園に出場したいという思いがあったからこそです。現実を受け入れるまでに相応の時間を要することは致し方ないと考えていました。
一方で、こんな考えも持っていました。