大蔵省が公表していない「旧日本軍の隠し財産」
終戦間際の日本軍には弾薬はおろか食料すらなかったというイメージもあるが、各地域で押収していた金塊などを駐屯先の現地通貨で現金化したり、食糧などを買いつける補給ルートが連合国軍の猛攻により途絶えていただけで、すべての戦線に財産がなかったというのではなく、それまでのような経済活動ができず、物資の入手が困難となり、保管していた財産を使用できない状態にあった。
つまり、大蔵省が発表した戦費総額よりも『公表されていない資金や財宝』『使い切れなかった財産』が各国にあったのだ。
その一部は連合軍に押収されることもなく『隠された財産』と呼ばれるようになった。その中には前述した山下財宝のような都市伝説レベルの情報も多いが、戦後の混乱で氾濫していた情報をもとにGHQが調査をおこない、昭和21年、東京湾芝浦沖の海底から金塊103個を含む貴金属が発見された。
一時は『天皇の隠し財産』とも言われたが、噂好きや識者たちの間で議論が繰り返された結果、発見場所の近くに軍の関連施設があったことから「これは旧日本軍の隠し財産である」との見方が強まり、それまで謎に包まれていた旧日本軍の隠し財産が『実在する財産』として認識されるようになった。
そして、マーカット少将率いる調査隊は次々と押収した隠し財産を戦時中の記録にもとづいてオランダなど返還すべき国に戻し、さらに日本の戦後処理や反共工作活動の費用として公的に流用した。
その後、経済科学局の管理下にあった日本銀行(日銀)の金庫管理担当者だったGHQ職員が保管されていた隠し財産の一部であるダイヤモンドを不正に持ち出し、米当局に逮捕され、日本の国会でも話題となったことで旧日本軍の隠し財産は『実体をともなった財産』として世間に認知されるようになった。
また敗戦時の混乱に乗じて、海外で秘匿されていた旧日本軍の隠し財産を私物化した者がいたり、在外邦人から届けられた援助物資(ララ物資)が闇市に流れるなどの不正行為を働く者も目立ち始めたため、1947年、それらを摘発すべくGHQ主導で検察庁内に隠匿退蔵物資事件捜査部(後の東京地検特捜部)が設置され、隠し財産の存在はますます庶民に広く知られるようになった。
サンフランシスコ講和条約が発効された1952年まで日本は戦勝国による占領統治下での焼け野原からの復興という大きな国家テーマの渦中にあり、一般国民の大半が貧しかった。
しかし朝鮮戦争(1950~1953年)による軍事特需を契機として戦後不況から脱却し、経済成長率は毎年平均10%上昇という右肩上がりが続く高度経済成長期に突入した。
1960年には、当時の池田内閣が国民所得倍増計画を打ち出し、わずか7年間で国民総生産を2倍にするという驚異的な経済成長を遂げたのだった。
藤原 良
作家、ライター
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