校則は廃止してしまってもいい
ここまで言うと極端かもしれませんが、私は基本的に、校則はすべて廃止すべきだと考えています。法律に定められていないことを、関係者(子どもや保護者)の合意もないのにルールにして、しかもそれを子どもに強制的に守らせるというのは、民主主義に反する行為ではないでしょうか。
中には子どもに校則をつくらせる学校もありますが、私はそのようなやり方にも、基本的には反対です。ルールができれば、同時に「守ることを義務付ける雰囲気」もできあがります。守らない人を排除する動きも、必ず生まれます。ローカルルールを増やす必要はないと思います。子どもたちが「校則を変えたい」と言って、自分たちでルールをつくり直す動きもありますが、私はその場合も、新しいルールをつくり直すよりも、校則を廃止すればよいのではないかと考えています。
ルールは何も必要ないというわけではなく、例えば「人の権利を奪わない」といったルールを守る必要はあります。しかしそういう重要なことは、法律で定められています。それ以外の、例えば「髪の色をどうする」「服装をどうする」といった細かいルールを、わざわざ校則として定める必要はないというのが、私の考えです。
「学校の標準」に苦しむ子どもがいる
「校則廃止」の議論は教育委員会に委ねますが、「学校の標準」が一部の子どもたちをひどく追いつめているというのは確かです。これは学校と発達障害を考えるときに、重要なポイントの一つになります。
「学校で、みんなと同じようにできない」ということに悩み、登校できなくなった子どもたちを、私は大勢みてきました。進学をエスカレーターにたとえることがありますが、いまの学校生活には、「みんなと同じ」でなければエスカレーターからはみ出してしまい、はみ出すことで進学やその後の進路選択が難しくなるという側面があります。学校に毎日通い、授業にしっかり参加して、よい成績やよい内申点をとらないと、その後の選択肢が減ってしまう可能性があるのです。そういう標準的な道を歩くのが難しい子は、どうしても生きづらさを感じてしまうことがあります。
私は「学校の標準」が狭いこと、大人たちが学校をきっちりとつくりすぎてしまったことが、一部の子どもたちを苦しめているのではないかと思っています。
また、「学校の標準」に苦しんでいるのは、子どもだけではありません。子どもが学校に行けなくなれば、親御さんも悩みます。親としては「この調子で、社会に出てやっていけるのだろうか」と不安になることもあるでしょう。「標準から外れる」ということが、本人だけでなく、まわりの人の悩みや苦しみにもつながっています。
学校の先生も、子どもたちに教えなければいけないこと、守らせなければいけないことが多すぎて大変だと思います。子どもたちをきちんと指導しなければいけない。しかし、そうすることで、結果として登校できなくなってしまう子もいる。そんな状況で、指導に悩んでいる先生も多いのではないでしょうか。