「本当に貧しいのは、いくらあっても満足しない人」…「世界一貧しい大統領」の金言。真の意味

「本当に貧しいのは、いくらあっても満足しない人」…「世界一貧しい大統領」の金言。真の意味
(※写真はイメージです/PIXTA)

1970年に「生命科学」という分野の創出に関与し、早稲田大学、大阪大学で教鞭をとった理学博士の中村桂子氏。生物を知るには構造や機能を解明するだけでなく、その歴史と関係を調べる必要があるとして「生命誌」という新分野を創りました。そして、「歴史的文脈」「文明との相互関係」も見つめ、科学の枠に収まらない知見で生命を広く総合的に論じてきました。科学者である彼女が、年齢を重ねた今こそ正面から向き合える「人間はどういう生き物か」「人として生きるとは」への答えを、著書『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)として発表。自身が敬愛する各界の著名人たちの名言を交えつつ、穏やかに語りかける本書から、現代人の明日へのヒントとなり得る言葉を紹介します。

戦後の「貧しさ」と現代の「貧しさ」の決定的な差異

私の場合、太平洋戦争末期に暮らしていた東京に米軍機が爆弾を落とし始め、子どもたちだけ先生と一緒に田舎へ移る、いわゆる集団疎開が今も心に残る体験です。小学校三年生の時でした。

 

この時の記憶といえば、まず毎日お腹が空いていたなあということです。おやつはふかしたサツマイモの小さな一切れ、情けない話ですが、隣のお皿にのっている方が少し大きいなと思いながら、一切れを大事に食べました。

 

家に帰りたいと思っても、みんなが我慢している時にそんなことは言えません。「今日は家に葉書を書きましょう」と先生がおっしゃると、必ず「毎日元気にしています」と書いていました。

 

食べものが欲しいとか、さびしいなどと書いたら、先生が直しましょうとおっしゃるのはわかっていましたから。

 

その後家族が愛知県に疎開しましたので私もそこに移り、小学校四年生の時に敗戦となりました。東京に戻れたのは中学一年生の時です。戦後2年経ってもまだ社会は貧しいままでした。

 

たとえば運動靴がお店にはなく、少しずつ学校に割り当てられるのです。一年生の時は50人近いクラスに2足が割り当てられ、くじ引きをしました。

 

ただ、このような、ひもじかったり学用品が充分でなかったという生活を悲しんでいただけかというと、そんなことはありません。子どもとしてやることはたくさんあります。

 

毎日石けりやなわとびを楽しみ、元気に遊んでいました。客観的には貧しい状況であっても、みんな同じなのですから気持ちは暗くはありませんでした。

 

言葉は難しいもので「貧しい」というたった一つの言葉にもさまざまな意味が含まれています。新学年になったらクラスのみんなが新しい運動靴をはいているのに自分だけ買ってもらえないような貧しさは、厳しいですね。

 

社会がどうあって欲しいかという願いを書き出したらいくらでもありますが、最も大事なのはこのような形の貧しさをなくすことではないでしょうか。豊かさの中の貧しさは厳しく、辛すぎます。

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