「世界でいちばん貧しい大統領」の言葉
「私は貧しいのではありません。質素なのです」
(ムヒカ大統領の言葉)
1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットでの日系四世、セヴァン・スズキの話は第3回で紹介しました。
12歳の女の子が、「今の大人たちの暮らし方を見ていると、私たちが大人になるまでに地球が暮らせない場所になってしまうのではないかと心配になる」という気持ちを率直に語るのを聞き、なんとかしなければと思ったことを今も覚えています。
私は私なりにそれにこたえようとしてきたつもりです。
というより、私は生きものの研究が仕事ですので、「人間は生きものであり、自然の一部です」という言葉がいつも頭の中にあり、自然を生かして暮らすのが気持ちよいのです。
たとえば、台所の生ゴミは庭の隅につくった落ち葉溜めに埋め込んでいます。こうすれば、生きものだった野菜くずはそのまま自然に戻れるからです。自然には原則ゴミはありません(中略)。
生きものの研究に関わってきて本当によかったと思うのは、生きもののことを知れば知るほど、自然を生かして生きるのが楽しくなってきたことです。
このような文を書くのも、この楽しい気持ちをできるだけたくさんの方と共有できたら暮らしやすい社会になりそうな気がするからです。これが今一番願っていることです。
たまたま科学を勉強しましたので、生きものについて話す時にどうしても細胞とかDNAなどという言葉を使うことになりますが、この見えない世界を感じることができるようになると、生きるのが楽しくなること請け合いですので、拒否せず時々その話も聞いて下さい。
ムヒカ大統領を一躍有名にした2012年リオの国連会議
話を地球サミットに戻します。実はセヴァン・スズキのスピーチから20年後、同じリオデジャネイロで開かれた会合で一人の大人がそれと同じようなスピーチをしました。
子どもではないけれど、とても小さな国の人というところが、今の世界を動かす中心にいる人たちとは違う考え方ができる理由かもしれません。ちょっと子どもに近い面があるのではないでしょうか。いわゆる弱い人の仲間という点で。
子ども、女性、老人、障害者、貧しい人などなど……社会で弱者とされてきましたけれど、社会にはこういう人が大勢います。私も女性の老人ですから充分この仲間です。それを弱者と呼んで、いかにも役立たずのように扱っていたら、社会は成り立ちませんよね。
実は生きものを見ていると、弱いからこそみごとに生きるという面が見えてきますので、これも後ほど聞いていただきたいことです(中略)。
今回は予告篇が多くて、なかなか本題に辿りつけませんね。ついでに申し上げるなら、このムダが多いというのも、生きものの世界ではとても大切なことなのです。(中略)。
こんなことをしているとまさに「キリがありません」から、本題に戻ります。
2012年の地球サミットで、セヴァン・スズキや最近登場してたくさんの発信をしているグレタ・トゥンベリと同じことを大人の言葉で語ったのは、ウルグアイのムヒカ大統領です。
「無限の消費と発展を求める社会は、人々も地球も疲弊させます。発展は幸福のためになされなければならないのです」というのがスピーチの趣旨でした。
本質をついていますね。これだけ大事なことをキッパリと言う男性がいることにちょっと驚きます(逆差別と言われそうですが、男性は社会での地位を気にしてホンネをあまり言わないのは事実です)。
ムヒカさんは、このスピーチの中で「私の国は300万人ほどの国民しかいません。しかし世界で最も美しい牛が1,300万頭、ヤギも1,000万頭近くいます。領土の80%は農地です」と語っています。
この言葉の裏には、皆さんこの数字を聞いて後れた国だとお思いかもしれませんが、どうしてどうして、このような暮らしは悪くありませんよというメッセージが込められていると、私は受け止めます。小さな国だからこそはっきりとものが言えるのでしょう。