倉本聰が「富良野塾」で若者に教えたかったこととは?
当時すでに、ただ便利さを求めるだけでよいのだろうかと考える仲間はそれなりにいました。私は自分の生きもの研究から、「人間は自然の一部です」という答えを出して、それを発信し続けてきました。
倉本さんは、東京という急ぎすぎている場を離れて生き方を探すために富良野に居を移されただけでなく、若者を対象にした脚本家や俳優を養成する富良野塾を開かれました。すごい行動力です。
若い人たちは、農作業で生活を支えながら勉強するという日常の中で、演劇について学んだだけでなく人間としての生き方を考えたに違いありません。その一つの現れとして、倉本さんはこんなことをおっしゃっていました。
東京の若者に「生きていくのになくてはならないものは何?」と聞くと、携帯電話という答えが返ってくる(まだスマホではありませんでした)。それに対して、富良野で暮らし始めた若者たちは、まず「水」と言い、「暮らしていくにはナイフが必要」と言うと。
生命誌に携わる私から見ても、生きものとして生きるために不可欠なものは水です。
私たちはもちろん酸素がないと生きられませんし、食べものも必要ですが、バクテリアには酸素を必要としていない仲間、いやむしろ酸素は有毒であり、それのない地中に暮らしている仲間がいます。破傷風菌はそれです。
子どもたちが切り傷などがある状態でどろんこ遊びをすると、土中の破傷風菌に感染する危険があるので、生後3ヵ月頃から始まる予防接種の中に破傷風ワクチンが入っています。
四種混合と呼ばれ、破傷風の他、ジフテリア、百日咳、ポリオ(小児麻痺)のワクチンが入ったものが一般的です。私の姉は生後間もなく百日咳で亡くなったと聞かされています。一度も会ったことがないので実感がわきませんが、私が子どもの頃は小さな子どもが感染症で亡くなることが少なくなかったのです。
ワクチンの力は大したものです。新型コロナでも頼りはワクチンです。このウイルスは次々と変異した株が出てきて、これまで聞いたこともなかったギリシャ語のアルファベットを毎日口にするという思ってもいないことになりましたが、今では変異に合わせたワクチンをつくることもできますから、ここは、今の科学の力を100パーセント生かして対応していかなければなりません。
科学は私たちの日常とは遠いもののように見えますけれど、実は日常にたくさん入り込んでいます。科学者や技術者は、時に役に立とうと思う余り、やりすぎることもありますので、日常の感覚で、必要なものとやりすぎのものを区別していくのが、私たちの役割でしょう。とくに昔を知っている私たちにはその役割がありますね。
話がそれましたが、酸素はすべての生きものが必要とするものではありません。食べものも、植物は光合成によって自分でつくることができます。地球上に暮らすすべての生きものに不可欠なのは水です。
都会で暮らしていると水は蛇口をひねれば出てくるもの、コンビニでペットボトルに入って売っているものであり、あってあたりまえになっています。ですからないと困るという感覚は持てないでしょう。
すぐに手に入るため、水がどれだけの人やエネルギーに支えられているかに気づかずに過ごせるのが都会です。
倉本さんは、このような便利な時代だからこそ人が生きるうえで大切なものは何かを基本から考える必要があり、若者たちにも一緒に考えて欲しいと思われたのです。東京にいたのではそれはわからないと痛感し、思い切って富良野暮らしを始められたのでしょう。
中村 桂子
JT生命誌研究館 名誉館長