「仲間といるのに孤独を感じる」ことがあるワケ
イギリスの精神科医であり心理学者のアンソニー・ストーは、『孤独』という著書の中で、「孤独になる能力は、自己発見と自己実現をもたらす。自分の最も深いところにある欲求、感情、衝動が自覚できる」と述べています。孤独は必ずしも悪いものではなく、孤独によって得られる価値があるという、この考え方に納得される方も多いでしょう。
逆の例で言えば、卓球サークルに入ってワイワイと楽しく活動しているように見えても、本人はいつも仲間に気を遣って疲れ切り、活動後に皆で行く喫茶店での会話にまったく興味が湧かないといった場合、傍目には楽しそうでも、気持ちは孤独かもしれません。場に馴染めないときに感じる孤独というのは、周りに人がいればいるほど強くなるものです。
元気なうちに、万が一に備えて高齢者施設に入ったものの、そこで暮らす人たちの受け身の態度や職員のよそよそしい姿勢が嫌で、すぐに退所したくなる人が少なくないそうですが、これも似たような例と言えるでしょう。
「孤独」を辞書で引くと「①仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。②思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。」とあります。
①は外形、②は内面を言っています。いつも一人で本を読んでいる人は、確かに①ひとりぼっちだけれども、②寂しくはない(あるいは楽しんでいる)かもしれません。卓球サークルに楽しみが見出せない人は、①仲間はいるけど、②寂しいかもしれない。高齢者の孤独問題の取り扱いは、そう簡単ではありません。
一方、「孤立」の意味は「一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと」とあります。「孤独」に比べればこちらは判断しやすく、また高齢者は避けるべき状況と言えます。
高齢になると、近いところに助けてくれる人がいることが大切です。家庭内での事故や体調急変、災害などいざという時に放置されかねないような環境は危険です。またそういう人がいれば、面倒な作業や手続き、力仕事なども代わってやってもらえるでしょう。