ウサイン・ボルトのコーチが断言したとおりに…
いつもの運動公園、芝生に覆われた多目的広場。
到着したのは待ち合わせの15分前だった。休憩スペースのベンチに腰かけてボーっとしながら、講師の和田さんを待つ。
先週からじめじめとした天気が続いている。今日も雨こそ降っていないが、頭上に広がる曇り空がまるで私の心を象徴しているかのようだ。
(本当に、息子の足は速くなるんだろうか……?)
「はじめまして。このたびは、ご参加ありがとうございます。[走りの学校]和田賢一です」
うつむき気味だった顔を上げると、笑顔の青年がそこに立っていた。自己紹介をして、世間話がてら息子との間にあったことを伝えた。
和田 「息子さんのために」という想いが伝わってきました。今日僕は、〝お父さん〟の想いに応えるために、全力でお伝えさせていただければと思います!
父親 和田さん、ありがとうございます。YouTubeで「足の速さは才能じゃない」とおっしゃっていましたが、そう言いきれる理由はどこにあるのでしょうか?
和田 はい。では、足の速さは才能じゃないことをひとつずつ説明していきますね。
当然ですが、オリンピック選手のように、走りに関して究極までテクニックを突き詰めた先には、個人差が生じます。
しかし、最大の問題は、ほとんどすべての人が、とてつもなく大きな伸びしろに気づかず、〝走るテクニックの差〟と〝先天的な能力の差〟とを混同し、それらを才能の差としてひと括りにしてしまっていることなんです。
父親 うーん……私自身、足の速さを追求して、ずいぶんと長い間、人並み以上の努力をした時期があります。それでも足は速くなりませんでした。息子の足がこれから速くなると信じたいけれど、過去の自分を思い返すと、足の速さなんて所詮、才能なんだと思わされる経験の連続でした。足の速さは才能じゃないというのは、いったいどういうことでしょうか?
和田 おっしゃること、とてもよくわかります。僕自身、足の速さは才能だと何度も言われてきましたし、そう思い込んでもいました。でも、あの陸上大国のジャマイカでウサイン・ボルトさんのコーチに尋ねたとき、「お前の足は必ず速くなる」と即答されました。
父親 ジャマイカに行ったんですか!?
和田 はい。ジャマイカに滞在できたのは、わずか3ヵ月間でしたが、100mのタイムが手動で11.8秒から10.8秒まで短縮されたのです。これは、間違いなくテクニックの習得によるものでした。
父親 1秒も!? テクニックを身につけたから……?
和田 そうです。ここで、水泳を例にお話をさせてください。