思いがけないサプライズ
それからすでに一カ月が経つが、未だに表情が硬く、疲れ切った顔をしていた。医師からは「気管がカニューレを異物として捉え、時々むせ込む敏感な反応が収まらず、その度に脈拍も上がり、身体に負担がかかっている。馴染んでくれば楽になる」と、弁解のような簡単な説明を受けた。
今まで通り、訪問看護師を利用した自宅での生活を希望していた私は、自主的に病院で介護の指導を受けていた。妻は車椅子の移動に、私は車椅子の扱い方に慣れるのが目的とはいえ、京子の痛々しさの感情の方が先に湧いた。
しばらく待つと、先ほどの療法士に二人が加わって部屋に入って来た。挨拶もそこそこに、京子の人工呼吸器が外され、手際よく喉元のカニューレに人工鼻を取り付け始めた。
京子の自発呼吸の機能はまだしっかりしているため、短時間であれば人工呼吸器を外しても問題なかった。人工鼻から入ってくる空気は気道の乾燥と埃を防ぎ、程よい湿り気を与えてくれる。京子は六本の手で身体の要所と思われる関節を支えられ、背もたれが大きく倒された車椅子に移された。そのままエレベーターに乗り、一階に降りた。
人のいなくなった昼下がりの外来患者の待合室を横切り、裏手から外に出た。車椅子はストレッチャーに似た格好まで、背もたれが倒されている。外は舗装されているとはいえ、小さな振動が直接、頭や身体に伝わっていることが、身体のわずかな揺れで分かった。
腹筋も弱っているため、首への振動は喉に直接の刺激となって、むせ込みに繋がる。結果的に心拍数が急速に上がってしまう危険性があった。
上しか見えていない京子の表情は、必死に何かにしがみついている感情と、行きつく先が分からないという不安でますます硬くなっていた。私自身も『何をするつもりなのだろうか』と頭の中で不安と期待が交互に入れ替わっていた。
桜の木の下まであとわずかというところで、ようやく目的が分かった。健康なら五分もあれば悠々と済ませることができるコースだが、三倍の時間がかかった。
同じ時間をかけて同じ道程を戻り、病室に到着した。天井のみの病室に帰るまでの三十分間の旅が決行されて、成功した瞬間だった。車椅子に仰向けに寝ている京子は、身体が満開に咲いた花びらと共に宙に浮いていると勘違いしただろう。降り注いでくる花びらと、自然の風と一緒に自分も煽られ、外気と思い切り戯れる自由な姿が、自分の目に映ったに違いない。次に一瞬、京子は自分が地面になったと思ったかもしれない。
思いがけず、木の根元から見上げた格好になり、枝が天空に伸びて広がっていく。花の生命だけが、眩しい光の中へ、飛散していく瞬間の姿を捉えたと思われた。今年がだめなら、もう夫婦で一緒に桜の下に立つことはないだろう。そう考えていた私にとっても、思いがけないサプライズだった。
落ち込んでいた私の心の中に鮮やかな桜の花びらが降り積もっていった。傍らの京子の目に、いつの間にか滲んだ涙が頬から耳へと伝い始めている。私は、妻と共有した今という時間は、もう二度とこないと思った。