あらゆる社会で起きている、熾烈な「弱肉強食」の争い
実は日本には、欧米型の資本主義社会となる以前から、こうした考え方が存在していました。それは、近江商人たちが掲げた、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」です。
また、日本が著しく成長し、先進国と肩を並べた高度経済成長期にも、大家族主義の経営をする会社がたくさんありました。そのように関わる人を大切にするという姿勢を、日本の経営者はもっていたはずなのです。
しかし、そうした経営の本質が見失われて久しいように感じます。
現代では、世界中に新自由主義が浸透し、個人の自由と責任、競争と市場原理ばかりが強調されています。あらゆる社会で弱肉強食の競争が起こり、強いものが弱いものを虐げ、格差は広がるばかりです。
経営においても、競争に勝ち会社を大きくするのがすべてという風潮があるように感じます。
本来であれば和を尊び、個人の権利よりも集団の平和を大切にしてきた日本人が、なぜこのような競争を是とする資本主義に染まってしまったのでしょうか。
私が考えるに、事の発端はミルトン・フリードマンというアメリカの経済学者が、1970年頃から提唱していた市場原理主義でした。
企業や個人の競争を経済発展の原動力の一つだと考え、競争を重視するこの考え方がアメリカを中心に世界を席巻し、現代の資本主義社会のありようを決めました。そして1980年代に入り、なんでもアメリカの追随をしていた日本政府が同様に市場原理主義を打ち出したことで、日本も欧米型資本主義に傾倒していきます。
欧米型資本主義の核心は、「個人の利益の追求」にあるように思えます。個人主義の色合いの強い社会である欧米には、マッチしたのかもしれませんが、もともと集団主義であった日本においては真逆といえる思想ですから、それを取り入れようとすれば無理が生じ、社会がおかしくなります。
近年、ようやく格差社会の弊害が指摘されるようになりましたが、そうしたひずみが出てくるのはある意味で当然です。
現代社会で幅を利かせる欧米型資本主義において、私が最も理解に苦しむのが「会社は株主のもの」であり、「株主こそいちばん偉い」という発想です。
確かに、株式は会社の持分権を小口化したものであり、その文脈においては、「会社は株主のもの」と見ることもできます。株主は会社を支える大切な存在ですから、もちろん私もその存在を否定する気は毛頭ありません。
ただ、外部の株主たちは決してその会社で働いているわけではなく、そこにどんな人がいるか、どのような業務を日々こなしているかといった、細かい部分までは知りようがありません。
いわば会社の「血の通った部分」を知らないわけですから、必然的に株主たちの目的は、株の売買で利益を上げることになります。そして時価総額やキャッシュフロー、利益率といった、血の通わぬ数字だけで会社の価値を判断します。
「株主がいちばん偉い」と考える会社の経営陣は、株主の要望を叶えるのを最優先に動くしかありません。そうした会社は株主への配当を1円でも増やすため、数字的な自社の価値を高めるべく「利益至上主義」となり、数字を上げるのが事業の目的となってしまいます。
その弊害は明らかです。例えば1000人の社員をリストラした結果、100億円の利益を上げた会社があるとします。一方で、雇用を守り切ったけれど1億円の黒字にとどまった会社があります。
果たしてどちらがより人々の幸せに貢献したか、いうまでもないはずですが、株式市場においては「人々の幸せ」に関する指標は存在せず、結果として数字を残した前者のほうが、断然高く評価されるのです。
そんな社会はおかしいと思います。
荒木 恭司
島根電工株式会社 代表取締役社長
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