埋め立てによる巧みな土地利用で、大きく発展した長崎
KEY WORD
中島川、三角州、出島
徳川幕府がポルトガルとオランダ貿易の窓口としたのが貿易港・長崎です。長崎は九州の西端、肥前国の中島川河口に形成された三角州を中心とした都市でした。1570年に開港された長崎は、当初、来航したポルトガルに寄進されてイエズス会領となりましたが、豊臣秀吉が宣教師追放令を出して長崎を没収し、直轄領としました。
その後、江戸幕府は貿易を奨励していたため、当初はキリスト教にも寛大でしたが、やがて布教を禁止。市内に雑居していたポルトガル人を収容するため、中島川河口の北側に、円弧状の人工島「出島」を築きました。
また、この後の1639年、ポルトガル人は出島から追放され、2年後には平戸から和蘭(オランダ)商館が移転されます。出島の門や塀、橋などは幕府が造ったものでしたが、それ以外の土地、建物は「出島町人」と呼ばれる25人の豪商たちが共同出資で建造しました。
商人は出島をポルトガル人たちに貸した賃貸料で利益をあげようと考えたようですが、追放事件に窮し、平戸のオランダ商館を移すように嘆願したのでした。それだけ海外貿易が巨額の利益を上げられる商売だったということでしょう。
こうして開国まで長崎は西欧貿易の玄関として、日本の近代化に重要な役割を果たしました。長崎は埋め立てなどを巧みに利用し、大きく発展した都市なのです。
竹村 公太郎
元国土交通省河川局長・日本水フォーラム代表理事
2025年2月8日(土)開催!1日限りのリアルイベント
「THE GOLD ONLINE フェス 2025 @東京国際フォーラム」
来場登録受付中>>
【関連記事】
■税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】
■月22万円もらえるはずが…65歳・元会社員夫婦「年金ルール」知らず、想定外の年金減額「何かの間違いでは?」
■「もはや無法地帯」2億円・港区の超高級タワマンで起きている異変…世帯年収2000万円の男性が〈豊洲タワマンからの転居〉を大後悔するワケ
■「NISAで1,300万円消えた…。」銀行員のアドバイスで、退職金運用を始めた“年金25万円の60代夫婦”…年金に上乗せでゆとりの老後のはずが、一転、破産危機【FPが解説】
■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】