利根川の氾濫が多く、湿地帯だった関東平野。ここで稲作ができるようになったのは、徳川家康が主導した、利根川の東遷と荒川の西遷が大きいといえます。歴史的背景を探ります。元国土交通省河川局長で日本水フォーラム代表理事の竹村公太郎氏が解説します。

埋め立てによる巧みな土地利用で、大きく発展した長崎

いわゆる鎖国政策の中で、唯一、海外貿易の窓口となっていたのが長崎です。長崎はポルトガル船が入港した地であり、南蛮貿易の拠点となって発展しました。しかし貿易は人工島の「出島」を通した限定的なものでした。

 

 KEY WORD 

中島川、三角州、出島

 

徳川幕府がポルトガルとオランダ貿易の窓口としたのが貿易港・長崎です。長崎は九州の西端、肥前国の中島川河口に形成された三角州を中心とした都市でした。1570年に開港された長崎は、当初、来航したポルトガルに寄進されてイエズス会領となりましたが、豊臣秀吉が宣教師追放令を出して長崎を没収し、直轄領としました。

 

その後、江戸幕府は貿易を奨励していたため、当初はキリスト教にも寛大でしたが、やがて布教を禁止。市内に雑居していたポルトガル人を収容するため、中島川河口の北側に、円弧状の人工島「出島」を築きました。

 

[図表3]江戸時代の出島の全貌

 

また、この後の1639年、ポルトガル人は出島から追放され、2年後には平戸から和蘭(オランダ)商館が移転されます。出島の門や塀、橋などは幕府が造ったものでしたが、それ以外の土地、建物は「出島町人」と呼ばれる25人の豪商たちが共同出資で建造しました。

 

商人は出島をポルトガル人たちに貸した賃貸料で利益をあげようと考えたようですが、追放事件に窮し、平戸のオランダ商館を移すように嘆願したのでした。それだけ海外貿易が巨額の利益を上げられる商売だったということでしょう。

 

こうして開国まで長崎は西欧貿易の玄関として、日本の近代化に重要な役割を果たしました。長崎は埋め立てなどを巧みに利用し、大きく発展した都市なのです。

 

 

 

 

竹村 公太郎

元国土交通省河川局長・日本水フォーラム代表理事

 

 

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