戦国時代、関西の山が「禿山ばかり」だったワケ
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木材伐採圏
アメリカの歴史家コンラッド・タットマンが提示した資料によると、戦国時代の1550年までに、西は山口県、南は紀伊半島、東は伊豆半島、北は能登半島までが木材伐採園となっており、さまざまな地方から木材を伐採していたことがわかっています。
戦国時代の歴史上の出来事の舞台となっていた関西には木材はなく、山は禿山だったのです。では、木はどこに行ってしまったかというと、寺社仏閣などを建立するための材料になったというわけです。寺社仏閣の増加は人口増加も意味します。都市が大型化されていくと、ますます材木の需要は増え、樹木は伐採されていきました。
しかし、山が禿山になっていけば、森林の保水力がなくなり、雨水の川への流出量を平準化したり、洪水を緩和したりする能力も落ちます。すると、山の土砂が流出し、川床が上昇、飛砂害といった災害が起きます。また、洪水の頻繁な発生は、疫病の流行も生みました。
こうした災害を防ぐため、積極的な対策としては植林が行われ、一方、消極的な対策としては、都や宗教の拠点を新たな開拓地へと移転させる手段がとられました。もちろんこうした対策は、ほとんどの場合で効果を発揮し、ふたたび拠点が栄えて人口が増えるのですから、材木の需要がさらに高まることになるのでした。こうした傾向は明治まで続いたようで、天台宗の総本山、延暦寺がある比叡山から木が消え、丸裸にされている写真が残されているほどです。
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