
病気や障害のある家族の介護に忙殺され、教育を受けられない、同世代との人間関係を構築できない子どもたちである「ヤングケアラー」。社会問題化しているものの、医療法人あい友会理事長の野末睦医師は「在宅医療の現場ではそれほどヤングケアラーの存在を感じない。それだけヤングケアラーは孤独の戦いを強いられているのだろう」と話します。いま私たちが考えるべき「ヤングケアラー」の問題についてみていきます。
社会問題化する「ヤングケアラー」
最近、ヤングケアラー(若い介護者)という言葉が、マスコミなどで取り上げられ、その実態が多くの人の関心をひくようになってきています。
厚生労働省のホームページには、「ヤングケアラーとは、例えばこんな子供達です。」という見出しで、10にわたる状況が載っています。その中で、在宅医療が関わる状況は少なくても7場面にわたり、在宅医療とヤングケアラーとの関係は、実は切っても切れない状況であるはずです。
たとえば、「がん・難病・精神疾患など慢性的な病気の家族の看病をしている」とか、「障がいや病気のある家族の入浴やトイレの介助をしている」とか、さらには家族の看病や世話ばかりでなく、「障がいや病気のある家族に代わり、買い物・料理・掃除・洗濯などの家事をしている」など、家族の生活自体を成り立たせる役割も果たしているということで、ヤングケアラーへの支援が社会的課題として取り上げられています。このような動きは、これからの日本にとってとても重要なことだと思われます。
中学2年生の17人に1人がヤングケアラーのはずだが…
ところが、本来、在宅医療の場面では、このヤングケアラーを目にしたり、ヤングケアラーが世話している患者さんの診療にあたったりする場面が多いはずなのにも関わらず、筆者が経営している在宅医療を中心に提供している法人(患者数、合計1800人程度)では、ヤングケアラーに遭遇することはありませんでした。
このことは、ヤングケアラーが関与している患者さんが、本来受けるべき在宅医療を中心とした多くの社会的サポートを受けることができないでいるということを示しているように思います。
厚労省は中学2年生の17人に1人、クラスに1~2人はヤングケアラーとして頑張っているという実態と、筆者たちがみている患者さんの中に、ヤングケアラーの顔が見えてこないという経験から、やはりヤングケアラーは、家族の介護を1人で抱え込んで、孤独な戦いをしているような気がします。
厚労省が掲げるように、『ヤングケアラーが「自分は一人じゃない」「誰かに頼ってもいいんだ」と思える、「子どもが子どもでいられる街」』を私たち在宅医療に関わるものは、積極的に作っていく必要があると思います。
そして、在宅医療を提供している時に、日常的に遭遇するのは、ヤングではないけれど、孤独な戦いをしている、いわゆる「ケアラー」です。在宅医療は、とかく美談的に扱われ、実際、介護していた家族には、患者さんがお亡くなりになったあとには、大きな喪失感とともに、ある種の満足感がケアラーの心の中に満ちていくのをしばしば眼にしますが、それは患者さんの死後のことであって、介護をしている日々は、まさに戦いの中にいると言っても過言ではないような日々が続いているのを、まのあたりにします。
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