小さな失敗は自分と向き合うきっかけに
成功したときや物事がうまくいったときというのは非常に気持ちが良く、その瞬間は強烈な印象を受けますし、自信もつきます。でも実は、そこから学べるものはそれほど多くありません。
僕の場合、成功したときにはあまり振り返らないので、詳しい内容はそれほど記憶に残っていません。そもそも人間には「損失回避の法則」という特性があるそうです(※1)。
※1 『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(下)』ダニエル・カーネマン著、ハヤカワ・ノンフィクション文庫
例えば10万円をもらったときに感じる喜びよりも、10万円をなくしてしまったときのショックのほうが2.25倍も強く感じるというのです。つまり、人は成功よりも失敗のほうが記憶に残りやすいということです。そして、強いショックを感じるからこそ、自分自身をじっくり見つめ直すきっかけになるのです。
例えば、商談がうまくいったときや社長賞をもらったときには、自分を変えようと思う人は少ないはずです。「やった! お祝いに飲みに行こう」で終わりです。「勝って兜の緒を締めよ」というのは、成功しても気を緩めずにさらに心を引き締めろという教えですが、これは普通の人にはなかなか難しいものです。ネガティブなことが起こって初めて自分を律しようとか、変えようと思えるのです。
うまくいかなかった手術は、徹底追及される医師の世界
医師の世界でも、まれに手術がうまくいかなかったときは、なぜうまくいかなかったのかが徹底的に追及されます。そして二度とやってはいけない事例として引き継がれ、当人だけでなく周囲の人も気を引き締めるようになります。
失敗体験は自分だけでなく、周囲の人もより良い方向へ変えるチャンスになるといえるのです。
僕自身が最も自分と向き合ったのは浪人時代でした。
それまでは、どんなことでもきっとなんとかなるだろうと世の中を甘くみていたのですが、そこでようやく自分の能力の限界や身の丈を知ったのです。
自分は天才ではないのだから努力しなければ何ごとも生み出せないのだという当たり前の事実を、強烈な実感として味わったのです。
なにより自分自身と向き合う時間ができたのは良かったと思っています。もちろん時間がある分、不安になったりいろいろ余計なことを考えたりもしましたが、結果として最後に残ったのは「今は努力あるのみ」という覚悟でした。
僕はこの挫折があったからこそ自分と向き合うことができたし、自分を変えることもできたのです。
「アップルをクビになったことは、人生最高の出来事だった」(※2)
※2 『スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力』竹内一正著 PHPビジネス新書
こう語ったのは、アップル社を創業したスティーブ・ジョブズ氏です。1976年にアップルコンピュータ・カンパニーを創業したジョブズ氏でしたが、マッキントッシュを発売して世界中にインパクトを与えたものの、経営に失敗し、創業から9年後には自分が創った会社から追い出されてしまいます。
このときジョブズ氏は「果てしない絶望」を感じたそうです。
でもさすがはジョブズ氏、気持ちの切り替えが早い彼は、そこでめげずに新しい会社をいくつも創ります。なかでもジョージ・ルーカス氏から「ルーカスフィルム」のコンピュータ関連部門を1000万ドルで買収して創った「ピクサー」では、映画専門のコンピュータグラフィックス用ソフトウェアを開発し、その後の映画を大きく前進させました。
彼が、アップルをクビになったのは人生最高の出来事だったと語った理由は、「アップルをクビにならなければ、ピクサーも生まれなかったし、ピクサーが生まれなければ、世界初のフルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』も生まれなかった」からだそうです。彼にとっては、会社からの追放が人生の転機になったのです。
それにしても、果てしない絶望を感じたほどの出来事を「人生最高」とまで言う前向きな姿勢には感服せざるを得ません。失意の底に沈んだり、追い出した人たちを恨んだりする人も多いかもしれませんが、彼は絶望を自分の人生の新たなスタートに変えたのです。
郭 樟吾
脳神経外科東横浜病院 副院長
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