(画像はイメージです/PIXTA)

LGBTQIAへの理解やジェンダー平等などが叫ばれる昨今、女子校・男子校が減少傾向にあります。入学条件に性別の項目があることは一見すると差別的であり、前時代的にも見えますが、別学の廃止は選択肢を狭めることに繋がり、かえって多様性を奪う結果になるともいえます。「別学は差別か!?」について文化人類学者の意見をもとに検証します。

江戸時代、庶民は男女平等だった

そこで次は日本のジェンダーの歴史について紐解きましょう。日本では江戸時代、古代中国から伝わった儒教の教えを江戸幕府が啓蒙したことから、武士と庶民の差が生まれました。

 

武士は男尊女卑で、藩校で学問をするのも男子だけでしたが、庶民の寺子屋は共学が普通でした。庶民は男女とも生活の為に懸命に働かねばならず、比較的平等な時代だったといえます。

 

ところが、明治に入り1889年に大日本帝国憲法が施行され、「家父長制」が道徳の基本理念とされたことにより変化が起こります。

男女を明確に区切った「家父長制」

「家父長制」では家長が家長権を持ち、家族を支配します。さらに日本全体も「家父長制国家」として、天皇と国民の支配、服従の関係が明確化されました。

 

家長は女性が務めることも認められてはいましたが、原則は男性とされていましたし、天皇は男性です。

 

男女の上下関係が明確に定められたことでジェンダーは色濃くなっていき、流行言葉として「女性言葉」が誕生したりしましたし、学校も別学で、大学に入学できるのは男性だけ、女性は高等教育を受ける権利がありませんでした。

 

昭和に入り戦時体制となると、男性は「軍隊でお国のために戦う」、女性は「銃後を守り子どもを産む」とされ、それぞれお国に貢献することが求められました。

戦後、男女平等が進むが一転、「専業主婦」誕生

戦後、日本国憲法により民主主義が普及し、寺子屋のような共学も復興します。しかし男女平等への回帰がなされようとしたところで、高度経済成長期に形勢は逆転してしまいます。

 

朝から晩まで外で身を粉にして働くビジネスマンを支えるために、「専業主婦」の存在が求められたのです。同時期に、スポーツ部活動の「女子マネージャー」も登場します。女性は男性を支える存在にされていったのです。

 

1947年には「家庭科」の授業を男女一緒に受けるようになったのですが、高度経済成長期の1955年~1972年には男女別になり、当時は共学校でも女子は「家庭科」、男子は「技術」という科目があり、性別で教わる内容が異なっていました。再び一緒に受けるようになったのは1990年代になってからです。

別学は進学実績が高い傾向も

現在女性活躍推進が言われている背景には、少子化により減ってしまう労働力を補おうという経済的要因がありますが、近年一気に共学化が進んだのも同様で、男女平等への流れというよりは、私学の経営難が要因です。少子化で生徒が集めにくくなった大学付属の中高が、受験者層を広げるために続々と共学化に踏み切ったのです。

 

いろいろな面で肩身が狭くなってきている別学ですが、長所として、性差を意識、強調されることが無いことに加えて、進学実績が高いことも挙げられます。実はこの傾向は、日本に限らずアメリカ、韓国にも見られます。

 

また、女子校は共学に比べて理系学部進学者が高い傾向もあります。前時代的な「理数系は男子の方が得意」「女子は文系の方が得意」というような性差への偏見に捉われることがないからではないでしょうか。

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