男女差は「性差」よりも、「文化・時代の差」
"男らしさ、女らしさは文化によって作られる”
この言葉は20世紀を代表する著名なアメリカ人文化人類学者マーガレット・ミードが、ジェンダーの本質を説いた、有名な言葉です。
この言葉どおり、男女差とは一見すると「性差」に思われますが、実際は「文化の差」、「時代の差」です。例えば、ニューギニアの民族であるチャムブリ人の例を見てみましょう。次の図表1をご覧ください。
チャムブリ人の「男性らしさ」「女性らしさ」とは
(※アメリカ人文化人類学者マーガレット・ミードが1930年代に実施した調査結果に基づいているため、今日では100%正しいとはされておりません。)
図表1はチャムブリ人のジェンダーにおける、一般的な特徴をまとめたものです。女性は漁業などの肉体労働で家庭の生計を支え、気性は剛健で逞しい傾向にあります。
一方、男性は優れた芸術家になることを目指すという役割があります。気性は温厚で大人しい反面、傷つきやすく、強い憤りを感じるとヒステリーを起こすなどの特徴が、当時の調査で記録されています。
これらはもちろん、チャムブリ人すべての人に当てはまるわけではありませんが、日本の前時代的な「女性らしさ」「男性らしさ」とは異なるといえるのではないでしょうか。当時のチャムブリ人にとっては、力持ちや経済力の高い人を「女性らしい」と指していたかもしれませんし、感性が鋭く繊細な芸術表現ができる人を「男性らしい」と指していたかもしれません。
もう一つ例を挙げてみましょう。男性と女性、家族でも別々に暮らす民族もいます。日本人文化人類学者の原ひろ子が調査を実施したヘヤー・インディアンです。
人は男女よりも個人
この民族は「家族」単位で生活や生業をともにするということがありません。ヘヤー・インディアンは集団ではなく、個人が主体なのです。
夫婦、親子だから一緒に住むということはなく、少人数のテント仲間と生活します。このテント仲間は流動的で、ちょうど現代のシェアハウスのような形態です。臨機応変に狩猟に出かけることができ、人間関係が煮詰まらないというメリットがあります。厳しい自然環境で生きる採集狩猟民族が行き着いた、最も生存率の高い生き方なのです。
ヘヤー・インディアンのライフスタイルには、「人は皆一人で生きる」というコアが根づいています。家族や会社などの固定的な組織がなく、性別による役割がさほど明確でないため、おのずと「男性らしさ」「女性らしさ」も強調されないのです。
男女の境界を明確化
ヘヤー・インディアンのような民族もありますが、どこの民族も多かれ少なかれ男女の境界を明確にしてきました。身体的な性差は実は連続的で、境界は必ずしも明確ではありませんから、男性、女性を区別し、それぞれの役割分担を果たす社会の一員として組み込むためです。
たとえば異なる服装、髪型、言葉遣い、しぐさなどを規定することもそうですし、イランでは海水浴場、パキスタンでは結婚式が男女別です。サウジアラビアでは、かつて飛行機の席が別々でしたし、インドの地下鉄駅ではセキュリティチェックが男女別です。そして実は、日本でもかつて映画館の席が男女別でした。
教育面では世界的に共学が多くなり、オランダでは教育改革のための法改正によって、男女別クラスの一部ユダヤ教徒の学校を除いて、1996年にはすべての学校が共学化されました。
一方で、宗教的制約の多いイスラム教徒の国、アラブ首長国連邦(UAE)は別学です。オマーン、スーダンは高校までが別学です。
このように、日本のみならず世界の多くの民族が男女を二分してきた歴史があります。ですが本来男女の境界はさほど明確ではありません。それを2分類にしてしまうことが、そこからはみ出てしまう人たちへの疎外、抑圧、差別という問題を生み出しているのです。