デフレ経済のゼロ成長では誰も金を貸さない
はっきり言って日本にはこういうカタチでのチャンスはありません。
誰かの紹介が必要とか、誰かが保証してくれなきゃダメとか、最初から機会が平等ではない。そんな日本には本来的に紹介や保証ができる立場の人がいました。それは銀行の支店長でした。高度成長期までの話です。
バブル期になると土地さえあれば担保になりました。「アンタには土地があるから融資してあげよう」と。ところがバブルが崩壊して経済が縮小する(デフレになる)と、それもできなくなった。
都市銀行の支店長がやる気を失ったというか、審査のプロ、目利きがいなくなった。かつては支店長がまず有望な投資先を見立てて、それから本店の審査部がチェックして、「あっ、ここはいけますよ」と融資を決定していました。かつての日本はそれでいろいろな企業(ホンダやソニー、パナソニックなど)が世界的な規模に成長していきました。
彼らには土地の担保があったわけではありません。“可能性”しかなかった。こういう人たちに「やってみなはれ」「貸しましょう」……こういう信頼関係が日本の高度成長や新しい企業を支えたわけです。しかしいまのようなデフレ経済でゼロ成長だと、貸す側も慎重にならざるを得ません。
■再分配も企業努力もマクロ経済次第
共産主義や社会主義が台頭してから、資本主義国としてはそれに対抗するために、富裕層などに累進的に課税して、社会保障や福祉などを通じて弱者に富もたらす再分配が必要でした。
その考え方は第二次世界大戦後、1970年代までは世界の主流だったのですが、アメリカでは新自由主義イデオロギーが80年代から台頭しました。新自由主義は、政府が市場経済に介入せず、民間企業や投資家に自由に儲けさせるようにすれば、資本主義経済が活性化し、富裕層がお金を使うことで、所得が国民全体に〝滴り落ちる〟という「トリクルダウン」の考え方です。
日本では2001年発足の小泉純一郎政権が導入して以来、多かれ少なかれ政策に影響してきました。
2021年10月発足の岸田文雄政権は「新資本主義」を掲げ、「分配と成長」の好循を目指すと謳っています。「トリクルダウン」重視のアベノミクスの軌道修正を狙っていますが、再分配すれば景気が良くなるとは限りません。