(※画像はイメージです/PIXTA)

長引くコロナ禍で先の見通しが立たず、メンタルを保つだけで精一杯の人が多いのではないでしょうか。クリニックには子どもから大人までたくさんの人が訪れます。なぜ日本人はストレスに弱くなってしまったのでしょうか。精神科医が著書『シン・サラリーマンの心療内科』で解説します。

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澄みすぎる水は住みにくい

他に方法はなかったのか? 農林水産省の元事務次官が息子を殺害したニュースを聞いて、引きこもった子を持つ親たちの少なからずが不吉な予感に駆られただろう。高齢の親が引きこもっている子を殺す事件はこれまでにも時々新聞の片隅に出ていたものの、あまり注目されることはなかった。

 

しかし、今回の事件はそれと同じような構造をとり、法律運用の専門家の最高位についた者でさえ、息子を殺すより他に方法を見いだせなかったという点に注目すべきかもしれない。

 

すでにさまざまな角度から論評がなされているが、この事件は日本社会が抱える構造的な問題を示唆しているように思える。殺された息子はすでに中学2年の頃に母親を殴ったとネットに載せている。44歳に至るまできちんと就労していなかったようである。

 

ネットの投稿を見る限りはっきりした精神病的なものは認めにくいが、社会性を持たずネット上でのみ他者と交流し、ゲームに浸り、家族には暴君のようにふるまっていたようである。

 

ある40過ぎた男がいる。彼はネットで珍しいCDをひたすら買い集める。それらを聴いて楽しむわけでもなく積み上げたままにし、欲しいCDを見つけるたび親に金をせびり、断られると暴力をふるう。

 

両親の育て方が悪かったから自分は働かないと居直り、昼夜逆転の生活を送っている。ゲームをやりながらしばしば奇声を発するため、母親はいたたまれず、弟の家に避難する。父親は車の中で寝泊まりする。

 

彼は小さい頃、玉のようなかわいい男の子であった。祖母に溺愛され限りなく大事に育てられた。いつしか彼は、この家の王となっていた。

 

しかし一歩外に出れば、彼を見下す強い奴がたくさんいる。中学2年の頃から学校へ行くことを渋りだし、いじめっ子に似た悪い奴をわずかな指の操作だけでやっつけられるゲームに打ち込みだした。さして骨を折ることなく英雄になれるゲームは、現実世界のルサンチマンを解消するのによいのだ。

 

ある日両親がゲームでの出費を制限すると言ったところ、殺すぞと暴れ、耐えかねて警察を呼んだ。警察は1時間もたって10人もの陣容で現れた。それだけ時間がたてば興奮は去っており、落ち着きはらって両親から虐待を受けてきたと言い張った。警察も彼の態度から、強制的保護要件を見いだせず帰ってしまった。その後、警察を呼んだことでまたひどく親を責め立て家のモノを壊した。

 

父親が一度、保健所に息子は病気ではないかと相談したところ、病院を紹介された。病院に行くと、本人を連れてこなければ判断できないと言われた。

 

だが、本人をどうやって精神病院まで連れてゆけるというのだ。往診を頼んだところ、出向いても本人に会えるとは限らないとの理由で断られた。私は、この手の相談をたびたび受けるため、会いに行くことがある。ただ、何とか会えたとしても本人が治療を拒否すれば医療の枠に載せようもなく、時には出ていけと、玄関から追い払われることもある。

 

橋下元大阪府知事はネットで、もし元次官と同じ状況にあったら自分も同じようにすると言い、問題の解決の難しさに言及している。水を澄ませるには不純なものを澱として沈殿させるが、秩序とは本質的にそれと似た働きを備えている。

 

日本の社会は、度を超えてその働きが強いように思える。元次官とその息子の悲劇はその度を超えた働きが生んだものではないか。澄みすぎる水に生き物は住みにくいのだけれども。

 

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※本連載は遠山高史氏の著書『シン・サラリーマンの心療内科』(プレジデント社、2020年9月刊)から一部を抜粋し、再編集したものです。

シン・サラリーマンの心療内科

シン・サラリーマンの心療内科

遠山 高史

プレジデント社

コロナは事実上、全世界の人々を人質にとった。人は逃げるに逃げられない。この不安な状況は、ある種の精神病に陥った人々が感じる不安と同質のものである――。 生命の危機、孤立と断絶、経済破綻、そして……。病院に列をな…

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