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50歳という年齢に棲んでいる「魔物」の正体
50歳という年齢には「魔物」が棲んでいる──。本連載の執筆のためにインタビューをさせてもらった人物がつぶやいた言葉です。その人物は、53歳で従業員数900名を超える中堅企業の社長の座を後進に譲り、自らは「魔物」から逃れるために人口1万人の地方の町に単身移住して、まちおこし事業を行うスタートアップ企業を立ち上げました。
2013年の高年齢者雇用安定法の改正で、希望者は65歳まで働けるようになり、2021年4月のさらなる改正によって70歳までの就業が視野に入ってきました。仮に50歳でのポテンシャルが100であるとすると、退職時は落ちても70ぐらいまでだろうから、「何とかなるだろう」というささやきがどこからか聞こえてきそうです。
実際、大企業で働く社員の9割は、定年後、再雇用を選ぶといわれています。同じ会社で働き続ける方がストレスもリスクも少ないとの判断のようですが、それは本当でしょうか。前述の人物は、それを「魔物」だといいます。
なぜ「魔物」なのか──。今の時代、その声に従った途端に「何とかならない」状況に陥ってしまうからです。DX(デジタルトランスフォーメーション)をはじめ社会の急激な変化に対応するため、多くの企業が経営の構造改革を進める一環として早期退職の募集を始めています。真っ先にその対象になるのが50代です。
多くの企業で、日本型雇用制度の中核をなす終身雇用を維持することが困難になり、それぞれの職務を明確にして成果を評価する「ジョブ型雇用」を採用し始めています。50代の人が過去の実績をもとに「昔の名前で出ています」的に生き延びようとしても、「昔の名前のままならいらない」とされてしまうでしょう。50代にとって「何とかなるだろう」とはいっていられない時代に突入しようとしています。
冒頭で紹介した人物は、会社の規模を10年間で従業員数20名から900名以上へと右肩上がりの成長を実現した実績があるので、「昔の名前で出ています」でコンサルタント業や顧問業を始めるとの選択肢もあり得たでしょう。
しかし、まったく逆の選択をしました。人生が終わるときに100を上回っていたい。そのために50歳を過ぎても成長を続けたいと、成長せざるを得ない環境にあえて自分を置きました。
そこには、人生に対する一つの考え方が表れています。「50歳は人生の後半の始まり」ととらえ、あとは力が徐々に衰えていくことを受け入れて生きるのか。それとも「50歳こそ新たな人生戦略を立てるとき」ととらえ、人間としての完成に向かってさらなる成長を求めて生きていきたいと望むのか。
ここで一つ、質問です。あなたは「キャリア」について、どんなイメージをお持ちでしょうか。
キャリアとは、一般的に「仕事上の経歴、職歴」の意味で使われます。これに対し、私はもっと広い意味でとらえ、キャリアとは、「仕事歴を中心とした学習歴、経験歴の総体」であるととらえています。
仕事を続けている間は仕事歴が中心となるでしょうが、仮に65歳で仕事歴にひと区切りをつけたとしても、学習歴や経験歴を積み上げれば、それもキャリアになります。つまり、新卒で入社して仕事を覚えた25歳をキャリアづくりの始まりとすれば、人生100年時代の現在は、80歳くらいまでをキャリアづくりの期間と考えてもいいのではないでしょうか。
私は、25歳から80歳までの期間を三つに区分し、25~50歳を「青年期」、50~65歳を「壮年期」、65~80歳までを「実年期」とする「新・孔子の人生訓」を提唱しています。つまり、50歳から始まる壮年期は「人生の後半の始まり」ではなく、3期にわたるキャリアの「2期目の始まり」というわけです。
壮年期に入っても成長を続ければ、実年期以降も、人間として完成に向かって生きることができます。もし、あなたが、そんな生き方をしたいと考えるのなら、主体的に今後の人生の戦略を立て、ライフデザインを描く必要があります。
その人生戦略やライフデザインを、私が考案した「人生鳥瞰図」を使って導く方法をお伝えするのが、私の著書『50歳からの人生戦略は「図」で考える』のねらいです。