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「やらなかったこと」を考える理由
■人生の「分岐点」は時間が経過してから気づくもの
第18回~19回で、人生鳥瞰図の後半のパート、「ライフデザインの構築」の三つのプロセスの一つ目、「キャリア自分史」の作成について説明してきました。
「キャリア自分史」を完成させるためには、まず、これまでの自分の歩みを年表形式でまとめる「キャリア年表」をつくります。
次に、その中で特に印象に残った出来事や出会いについて、そのときの自分自身の考えや判断、実際の行動、その成果を記述する「キャリアレコード」をつくります。
最後に「キャリアメモ」を書くわけですが、「キャリアメモ」を書くために、「現在の私」の視点で、「キャリア年表」や「キャリアレコード」を眺めていると、「現在の私」へとつながる人生の分岐点を発見できます。
その分岐点は、自分の意思に関係なく、向こうからやってくるものもあれば、自分の意思に基づいた決断が、後の大きな発展につながったものもあります。
入社以来、羽田、札幌、ロンドン、成田で、主に総務や労務関連の仕事をしてきた私の場合、30代半ばのころ、本社に異動する話が出てきました。異動先は人事部門か、資金部門か、広報部門のいずれかということでした。結果的に広報への異動が決定します。
この異動は振り返ってみれば、小さな分岐点でした。ただ、広報部門で社外広報と社内報の編集にも携わり、「図解日本航空」を連載して、図解コミュニケーションに自信を持つようになり、『図解の技術』を上梓するに至ったこと、次いで、サービス委員会事務局に移り、社内改革を推進して戦略的思考に磨きをかけ、それが大学教授になってからも、大学運営に役立ったことなど、その分岐点を起点にして、自分が飛躍していったことを考えると、天が与えてくれた幸運だったようにも思えます。
あるいは、広報部門に異動になってから、完全民営化に向け、図解という自分のスキルを駆使して、社内の意識を統一しようと全力を尽くしたこと、そして、サービス委員会で社内改革に全身全霊を傾けたことが、結果として小さな分岐点を大きな分岐点にしたともいえるかもしれません。
■「やったこと」だけでなく「やらなかったこと」も見る
「キャリアメモ」を作成する過程では、過去のことがらについて、後悔することもあるかもしれません。
人生には二種類の後悔があります。一つは、「なぜ、あんなことをしたのか」という後悔で、もう一つは、「なぜ、あれをやらなかったのか」という悔いです。野球にたとえるなら、空振り三振への後悔と見逃し三振の悔しさ、ともいえるでしょう。
「キャリア年表」と「キャリアレコード」に記述されるのは、過去に「やったこと」です。それに対し、「キャリアメモ」は、「やらなかったこと」も書き留めることができます。
同じ「やらなかったこと」でも、「あのとき、会社を辞めなくてよかった」のような、前向きな感慨もあれば、「やればよかった」という反省もあるでしょう。一般的に、やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい、といわれるように、「やらなかったこと」への後悔のほうが大きいかもしれません。「失敗した」と思うこともあるでしょう。
ただ、やらなかったのは、それなりの理由があったからでしょう。その理由をどう評価するかは人それぞれです。やらなかったから、「現在の私」があるのも事実です。